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内気で臆病なマルチリンガル(2)

日本語、英語、東南アジアの言語を使って生活し、働いてもいますが、内気で臆病です。世界がこわすぎていつもびくびく。中年になってから、ASD+ADHDと診断され、現在、PTSDと複雑性PTSDの治療中です。そんなわたしがどうやって生き延びてきたのか、ちょこっと書いてみようと思います。今回は、働いている現場でのお話です。現在は、フルタイムのオープン就労(研究職)、サポートを受けています


わたしの苦手: 臨機応変に動けない、しゃべれない

履歴書だけみれば、博士号をもち、米国その他に奨学金で留学し、研究業績も順調そうにあります(日本学術振興会賞など10以上の賞を受賞)。でも、わたしは慣れない場所に行くことや人混みが苦手なことに加えて、何語であれ、当意即妙にしゃべれない、つまり質疑応答や議論がこなせないという困難があるため、院生時代から今日まで、できるだけ学会に行かないですませてきました。これは研究職としてはなかなかの痛手です。なぜなら、学術交流やネットワーキングが乏しくなり、もともと、ひきこもりタイプなのに、ますます孤独になってしまうからです。自己肯定感も自己効用感も低く、いたたまれません。

わたしの得意: 自分のペースで、継続的に、読み書きできる、一方的に聞いたり話したりすることはできる

いっぽうで、ひとりでコツコツと文献を読んだり、小さなコミュニティに通って調査して毎日フィールドノーツをつけたりしながら、地道に文章を書くことは得意です。瞬発力を発揮しないくてもよいような仕事、たとえば1冊の本を書くとか、翻訳するとか、そちらのほうで業績を積んできました。また、一方的に聞いたり、準備できるのであれば、一方的に話したりすることはできるので、講義やどうしてもやらなくてはいけない講演などもこなすことができます。上記のような範囲であれば、日本語や英語、ほかの言語を使って、「流暢」というか、意味を伝え、課題を遂行することができるので、わたし、生きてるな、って感覚が持てて嬉しいです。

留学先での配慮:ハーバードの研究所

これまで2回招聘を受け、1度目は1年間、2度目は3ヶ月間、研究滞在しました。このとき、トークが課せられるのですが、わたしは対人刺激に弱く、初めての人たちを前にすると緊張して発声が弱くなってしまうということで、マイクの使用を希望しました。こじんまりとした部屋にこじんまりとした人数であるにもかかわらず、です。あと、質問をさばくのが苦手であることを司会のハーバードの教授にあらかじめ伝えておき、丁々発止なムードにならないように場をコントロールしてもらいました。ちなみに、わたし以外のスカラーにもしゃべるのが苦手なひとがいて、フルペーパー配っちゃうとか、それぞれいろんなやり方でカバーしていて、なるほど、何か苦手なことがあってもサポートを求めればいいのか、と学びました。

口頭発表での配慮: 国内外のセミナーなど

1度目のハーバード留学のあと、ヘッドハントで転職したのですが、そこで適応障害になりました。そのときに精神科で心理検査を受け、発達障害(ASD+ADHD)の診断がついたため、産業医助言のもと就労することになり、臨床心理士/公認心理師のカウンセリング(私費)も受けるようになって、何が苦手がよくわかるようになりました。そこで、口頭発表する場合、つぎのような配慮をお願いしています。1) 司会者に質問をさばいたり、わかりやすく言い直してもらう、2)質疑は受けておいて回答は後日メールとしてもらう、あるいは、自分が主催の場合、3)同じテーマで2回開催し、1回目で質疑やコメントをもらい、2回目でそれらに対して口頭で回答する、など。授業でも必要に応じて学生に自分の苦手を開示しています。

就労先での日常的な配慮: 合理的配慮をお願いする

現在、研究所で働いていますが、組織なので、ひとりでただただ研究していればよいというわけにはいきません。さまざまなアドミン業務があります。その中から苦手なものを免除してもらい、得意なものを当ててもらえるように、産業医を通じて所属部局の長(研究系&事務系両方)に合理的配慮をお願いしています。合理的配慮のお願いの文面は、臨床心理士/公認心理師といっしょに作りました。なお、診断書を提出する準備をしましたが、不要と言われました。

わたしが苦手とするアドミン業務は、やはり臨機応変な行動やしゃべりが求められるものです。具体的には、交渉系(予算をとってくるなど)、調整系(人員の希望や不満を聞きコーディネイトするなど)、予測のつきにくい細やかなやりとりが必要となる業務などです。こうした業務をわたしがやってしまうと、できないわたしも苦しみますが、組織にもダメージを与えるだろういうことで、免除されています。そのかわり、予測がつくもの、コツコツ取り組めるもの、たとえば、英語による雑誌や叢書の編集、国際交流の企画系におもに携わっています。

まとめに代えて: サポートを求めよう

もし10年前だったら、わたしは死んでいたかもしれません。冗談ではなく、です。わたしの前にいたであろう、さまざまな困難を抱え必死に頑張ってけれども何もサポートを受けられないどころかただただダメな人として切り捨てられてしまったり、思うように資質を開花することができなかったりした多くのひとたちの犠牲があるということを忘れないようにしたいです。わたしはたまたまいまの時代に生まれて、障害者差別解消法だったり、合理的配慮だったり、ダイバーシティ&インクルージョンだったり、そういうものが在り、かつその恩恵を受けられる特権的な立場にいるから生きられているだけです。

ほんとうは、たまたまとか、運がいいとかではなく、誰もがその人らしく生きられるように社会の側がもっと整うべきだと考えています。わたしがオープン就労しているのは、もちろんわたし自身のためです。でも、それに加えて、わたしではない誰かがわたしのあとにサポートを求めたときに、わたしが前例としてそこにあることが、すごく小さいかもしれないけれど役に立つかもしれないと願っています。

お読みくださり、ありがとうございました。



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