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言葉を学ぶことは生きること(3)

毎日、英語、日本語、セブアノ語を使って暮らしています。あと、スペイン語もちょっぴり。どうやって学んだんだっけ? 習得/学習した順にならべて、ちょっとだけ、ばらばらっと振り返ってきました。わたしは、どういう動機でこれらの言語を学んできたのかな? ということにも触れつつ。今回は、最終回で、セブアノ語について書きます。

SLA研究における動機づけ理論の中で最初に関心をあつめたのが、統合的動機づけ(integrative motivation)です。外国語を見につける動機は、その文化や社会への好意的な気持ちと強く結びついています。例えば、英語文化圏の国や文化に興味があって、そのコミュニティに対する肯定的な気持ちを持っていると、統合的動機づけが高く、英語学習にも成功しやすくなるでしょう。一方で、外国語はある目的や目標を達成するための「道具」とも考えられます。仕事での昇進や試験に合格するなどの目的がある場合には、道具的動機づけ(instrumental motivation)として機能します。

鈴木祐一 『新しい第二言語習得理論:英語指導の思い込みを変える』研究社、2024年、124頁.

セブアノ語の学習動機:ミンダナオに行きなさい

東京大学大学院経済学研究科の博士課程2年生。専門は開発経済学、テーマは「貧困」の動態。そろそろ留学してみようか。先生はききました。「米国に行く(=「経済学」やる)?、それとも「フィリピン行く(=「地域研究」やる)?」。学部時代に米国でひどい事件に遭ってトラウマが癒えていなかったこともあり、米国は怖すぎて無理。そこに「先生の先生」がきて、「君はセブアノ語圏、なかでもミンダナオに行きなさい」と鶴の一声。タガログ語(フィリピン語)ができる日本の研究者は多いけれど、セブアノ語ができる人は少ない。そうしているうちに、財団系の奨学金に当たり、ダバオ市に派遣されることに。ああ(冷や汗)。現地語できないと調査できないので、セブアノ語をどうしても習得しなければいけなくなったのです=強烈な道具的動機づけで学習スタート。国語(タガログ語をベースとするフィリピン語)を学ぶことなく、いきなり地方語? 大丈夫? やるしかにゃい。

入門・初級レベル:語学学校とキッチンで学ぶ

当時、日本語で手にはいるセブアノ語の教材は小さな会話集しかなく、留学前はその音声をききまくったものの、なにもわからないまま、現地到着。カトリックの修道会経営のメリノール語学学校(現在は閉校)に入学しました。外国人神父や修道女向けの学校ですが、一般人も入学できます。6ヶ月の集中講座、月から金、朝8時から夕方4時まで、英語を媒介語としてみっちり教えられます。最初の2週間は発音だけ。その後、文法と語彙を習います。教室で1時間みんなで習ったら、30分は個室にこもり聴覚教材を使っての自習、その後30分、先生とマンツーマンでパターンプラクティスすることを繰り返すというメソッド。日本語や英語やスペイン語とは異なり、セブアノ語はほぼほぼ「話し言葉」としてのみ流通しています(読み書きに使うことは少ないです)。ホームステイ先のキッチンでもお手伝いさんたちにセブアノ語で話しかけられまくり、感謝。Salamat gyud.

中級レベル:家庭教師と調査助手に鍛えられる

6ヶ月の集中講座を2ヶ月の時点で自主的にドロップアウト。欧米出身者の受講生仲間たちはそれぞれの母語とセブアノ語の言語間距離が遠いからか習得に苦労していたようですが、日本語母語者のわたしにとっては音がはいりやすくて助かりました。セブアノ語の母音は3つしかないし、スペイン語と同じく音節拍言語(syllable-timed language)だから、とりあえず音だけは聴けるのです。なによりも語彙にスペイン語がものすごくたくさん含まれています。フィリピンは300年以上、スペインの植民地だったからです。米国でスペイン語を学んだことが、フィリピンでの現地語習得をものすごく手伝ってくれました。ただし、以後、スペイン語を話そうとすると、セブアノ語がでてきてしまうというヤマイを発症……。ともあれ、語学学校をやめるにあたり、先生のひとりを家庭教師をお願いし、さらに博士論文のためのフィールドワークをするにあたり調査助手を雇いました。このふたりにマンツーマンで鍛えられて、ありがたかったです。英語を使ったら窓から投げ捨てると言われていました(^^  ilabay ta ka sa bentana kong mag-English ka, ha?  

[余談: 英語で書きまくるはめに]

このとき、セブアノ語を使いながら調査しながら、フィールドノーツとよばれる日々の記録は、英語でつけていました。先述したようにセブアノ語は書き言葉としてはあまり使われないので、セブアノ語で書くことは考えていなかったし、かといって日本語(母語)まで戻るのは遠すぎて無理。くわえて、たまに大学の研究所で指導や助言を受けることがあり、その都合もあって、学術的なことは英語で書いていたのです。このときの3年間、わたしが書いた英語のフィールドノーツは100万語ほどでした。それは作文する(compose)というよりもただ書きつける(write down)するだけだったので、いまみると、なんにゃこりゃ、英語の体をなしてにゃいよ、と思うところもあるのですが、まあ、がんばりました。のちのち作品(語数忘れましたが、400頁超の単著)として作る(craft)ときは、スタイル(文体)をすごく意識したこともあり、あたまが溶けるほど英語と格闘しました。もちろんプロの編集者(オーストラリアの方でした)に助けられながら。

路上運転:調査もバレエもピアノも買い物も

文法や語彙をまあまあ習得し、1対1で会話したり、文化を教えてくれる人たちに恵まれ、さらに地元のさまざまなコミュニティでいろいろな人たちと交流することで格段にセブアノ語が使えるようになっていきました。こうなると、わたしの学習動機において統合的動機づけが加わり、強まっていきます。「低所得者居住区」への通いや住み込みの調査、息抜きに習っていたバレエ(先生一家が親日派でレッスン無料という思い出あり)やピアノ(音楽科卒業なのにピアノを持っていない先生だったのでピアノを寄付)、市場(いちば)での買い物などなど、あらゆることをセブアノ語でやる、というか、そうしないと生活が成り立たないからです。ちなみに、フィリピンはミドルクラスは英語をよく使い、所得階層が下がるほど現地語/民俗語(vernacular)をよく使うので、わたしも大学(留学先)に行けば英語を使うはずだったのだけど、大学に行く暇はありませんでした。(Ateneo de Manila University。非常に寛大で、Institute of Philippine Cultureの同窓生としていまもお世話になっています)

セブアノ語と生きてる:  お酢とチリとカラマンシーを愛す

ミンダナオに留学してから、四半世紀がすぎたいまも、わたしはセブアノ語が流暢です。20代終わりというまだ若いときに3年間みっちり現地で暮らして使ったというのものあるけれど、幸運なことにセブアノ語を使う地域研究者として職を得たために、その後もずっとミンダナオに通う年月をすごしてきたことが大きいです。わたしは英語についてはまあまあバイリンガルなだけでバイカルチュラルだとは思っていないのですが、セブアノ語についてはバイカルチュラルであるというアイデンティティを持っています。それは、わたしがある程度、セブアノ語圏の地域社会に統合されて暮らしてきたことによります。セブアノ語はもはやわたしにとって外国語ではなく、わたしはセブアノ語の使い手のひとりだと思っています。「Bisaya* ko」(ビサヤ人だよ=ビサヤ語話者だよ)といえば、現地の人びともふつうに受けとめてくれます。Daghang gyud kaayo salamat (タガログ語訳:Maraming maraming salamat po) .

*ややこしいので詳細しませんが、セブアノ語はビサヤ諸語のひとつです。ビサヤ諸語の話者同士でお互いを弁別するときは細かく言語名をいいますが、ここでは「非ビサヤ語の母語者」を念頭に「そうではなくて、ビサヤ語話者」という感じで使っています。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。



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