試験が苦手すぎるマルチリンガル(1)
わたしは日本語と英語とフィリピン諸語が使えます。語学のプロフェッショナルではありませんが、毎日これら複数の言語を使って働いています。しかしながら、試験というものが苦手すぎて、語学関連の資格試験という点では、マルチリンガルぶりを証明するものがないです。どうやって生き延びてきたのか、ちょこっと書いてみようと思います。長くなりそうなので分割します。まずは、その(1)です。
注:おとなになってから発達障害(ASD+ADHD)と診断されました。現在は、合理的配慮のもとでオープン就労(研究職)しています。
小さいときから試験が苦手: 吐きまくる小中学時代
「あたまがいいのかわるいのかわからん」と言われるような小学生でした。知能検査の結果が突出しており、親は呼び出されたそうです。見たものをまるまる記憶できたため、学校の勉強は超かんたんでテストもできました。が、テスト中や直後に吐き、早退して、病院行きになることが多かったです。なにごとにも過敏で、おそろしく緊張している子どもだったのです。高校入試は公立を選び、セーフ。
一般入試もうけられない: 摂食障害の高校時代
あいかわらず過敏で人と一緒にいられず、授業中は眠りまくり、それ以外は図書室をさまよい、テクスト(英語の小説含む)に包まれて安全を確保していました。記憶力はまだよかったので定期試験は良好、いっぽうで模試などではやはり吐きまくり、さらにすべての食べ物を4分の1にしてその1つしか食べないという状態で、160センチ30キロ台までやせほそりました。指定校推薦で私大へ進学(経済系)。
英検回避してTOEFLへ: 吐かなくてもすんだ学部&修士時代
大学時代は持ち込みやレポートの試験が多かったため、成績は良好。TOEFLやTOEICは、英語の学習時間がしらないうちに蓄積(中学時代からやたらに原書を読んだりしてきたため)していたために、初回で受験者上位1%の得点、以後受けず。英検は何もせずに受けたら落ちそうだったので避けました。米国の学部に1年留学(スペイン語専攻)、帰国して内部推薦で修士課程へ。吐かずにすむ毎日。
久しぶりの一般入試: やっぱり吐いた大学院博士課程入試
他の私大の博士課程(経済系)を受けたら、英語がやったら長い専門的文章の和訳で、むりくり全部訳したら、試験終了後にトイレでみごとにリバースしました。決められた時間で和訳し続けるって、わたしにはほんとうに無理すぎる。自分が興味のない訳したくもない文章を訳すのいやでしょうがない。当然、まともに訳せてなかったはず。しかしながら、提出した修士論文をほめられて合格。入学辞退。
語学試験がなかった!?: もうひとつの大学院博士課程入試
もう1つ受けていたのが国立の大学です。こちらは研究計画書、修論などを提出し、それで一次審査に合格したら、二次審査として面接を受けるタイプ。ようするに、わたしが受けたとき、語学試験がなかったのです。こちらでも修論を評価されて、合格。入学しました。英語を使うのは当然の業界ゆえに、もはや英語力を質問されることはなく、「タガログ語とかスペイン語とかできる?」と聞かれました。
小まとめ: 英語を使えることを英語試験以外で伝えるしか
日本型の一般入試や資格試験がぜんぜんだめ、試験勉強きらい、試験中や試験後に吐いちゃう、でも小さいときから独特の世界で英語に親しみ、よくわからないうちに英語を使うようになっていったわたしのような場合、英語が使えることをわかりやすく証明することが難しいです。受験してこなかったから偏差値とかわからないし、英検とかもってないし、TOEFL、TOEICのスコアとかもいまもってない。
いっぽうで、わたしが英語など複数の言語を使えることを示してくれるのは、それらを使って研究してきたこと、その経過としての修士号や博士号という学位です。でも、ここに来るまでのあいだは、「英語できるの?」ときかれてもとくに見せるべき結果がなく、自分でも語学ができるんだという自覚がありませんでした。次回は、大学院博士課程以降から現在までのことを書こうと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。