17. 金沢と宮崎と江夏の21
野茂は江夏を崇拝している。話は飛ぶが、江夏と金沢と宮崎に共通するのは21である。ところで、タイトル文字には、季節を表す言葉がない。いや、よく見たら江夏がいるじゃないか。え? そんな季節の言葉もありなのか。
17. 金沢と宮崎と江夏の21
野茂が25歳で近鉄を退団し、メジャーリーグを目指した1994年、未来の日本人メジャーリーガーが産まれた。大谷翔平である。そして1994年から遡ること10年、1984年に西武を退団し36歳で翌年果敢にメジャーリーグに挑戦し惜しくも敗れた男がいた。江夏豊である。江夏は野茂に大きな影響を与えた。江夏は野茂を敬愛し、野茂は江夏を崇拝している。野茂の『ドジャー・ブルーの風』巻末に、江夏豊と二宮清純の対談が載っている。江夏は二宮に言う。
「オレはメジャーに勝負を挑んで負けた男。夢を果たすことができなかった。でも、その夢を野茂がオレに変わって果たしてくれた。オレにとって、野茂は心の神様だよ。他の誰よりも、オレはアイツに敬意を評したいと思っている。」さらに「野茂のやったことは野球界の大革命だよ。アイツのおかげで、大リーグはじつに身近に感じられるようになったしね。そういう人間を尊敬しなくって、どうするのって言うの?」
江夏豊といえば、やはり山際淳司の「江夏の21球」が忘れられない。1979年11月4日の広島対近鉄の日本シリーズ第7戦、4対3で広島1点リードのまま迎えた最終回。7回裏から登板していた広島のリリーフエース江夏が、9回裏に投げた全21球のドラマを山際淳司が短編ノンフィクションとして書いたものである。ピンチを凌いで投げ勝った江夏のピッチングはもちろんだが、21球の投球の間の両チームの駆け引き、バッターの思いなどが、臨場感あふれる言葉で書き表されたことに大変驚いた。江夏は、翌年の1980年オールスターゲーム第3戦の9回裏、無死満塁のピンチにリリーフで登板し、パリーグの主軸打者を16球で3者連続三振に仕留めるという離れ技も成し遂げた。
「江夏の21球」に先立つこと約1ヶ月、1979年10月、熊本大学の一人の大学生が週刊誌の表紙モデルに応募した。1,000名の応募者から選ばれた10名の中にその大学生がいた。そして1980年1月25日号の「週間朝日」の表紙を飾った。宮崎美子が21歳の時である。最近の熊本県のHPに、宮崎へのインタビュー記事が載っている。「宮崎の21歳」が夢のように語られている。
「しかもその(「週刊朝日」表紙掲載)直後、篠山さんから『一眼レフカメラのテレビCMに出てくれる一般の方を探している。やってみないか?』とお誘いを受けまして。ちょうど春休みで時間がありましたし、ロケ地がサイパンでしたから『行ってみたい!』という理由でお受けしたんです。そうしたら、今度はそのCMがTBSのプロデューサーの目に留まりまして。当時、月曜から金曜のお昼に放送していた『ポーラテレビ小説』の次回作『元気です!』に出てみませんか? と声をかけていただきました。(中略)まさかそんなお誘いが来るなんて思ってもいませんでしたから驚きましたが、『こんな好機はもう二度とないだろう』と思いまして、挑戦することを決めました。」
まさに本人もびっくりするくらいに、あれよあれよという間に世の中の注目を浴びていく。「江夏の21球」と「宮崎の21歳」。それぞれにドラマティックな1979年から1980年の出来事である。
21にちなんだ話を、もうひとつ紹介しておきたい。「金沢の21美」と言われるドラマティックな建物がある。2004年10月に開館した金沢21世紀美術館である。展示物は直射日光を嫌うので、一般的な美術館の外壁には窓がないことが多い。しかしこの美術館は全面ガラス張りであり、市民に開かれた美術館をイメージして、どこからでもアプローチできるように円形なのである。無料で入れるスペースも多い。しかも外から見ると平屋で、いかにも美術館であるという威圧感がない。運営と設計の想いが一つになったいい美術館である。金沢の人たちから「21美」や「まるびぃ(丸い美術館)」の愛称で呼ばれているという。地域に根ざした美術館として愛称で呼ばれること自体が素晴らしいことである。金沢に来た観光客も訪れる美術館で、恒久展示されている「スイミング・プール」はみんな興味津々である。プールの水面の下に入ることができ、非日常の空間を体験できる。作品というよりもユーモアにとんだ仕掛けである。子供達に美術館へ遊びに行こうと思わせる建物なのである。近代美術が面白いのは、従来の枠組みに囚われないところであり、思っても見ない体験をさせてくれるのが実に楽しい。
メジャーリーグの話に戻る。野茂も江夏も日本の球団とは確執があった。そんな中でのメジャーリーグ入りのチャレンジだった。当時と今では、時代が違う。今では実力のある日本の若い選手がメジャーリーグを目指す。それでも、プロの世界は結果で勝負である。成功する選手もいれば失敗する選手もいる。しかし、勇気あるチャレンジはどの世界でも必要だ。それが道を切り開くということにつながるのである。もっとも、勇気あるチャレンジをする人に対しては、励ます人も多いが厳しい見方をする人も沢山いるのが世の常である。「渡る世間は鬼ばかり」というテレビドラマがあったが、心が躍るほどドラマティックで多くの感動を作る人の周りには、たぶん鬼も集まってくるのだろう。
●野茂英雄『ドジャー・ブルーの風』集英社 1981年
●山際淳司『スローカーヴを、もう一球』角川書店 1985年・・・「江夏の21球」を含めスポーツにまつわる8編が掲載されている。第8回日本ノンフィクション賞受賞作
●熊本県「気になる!くまもと」Vol.995 令和3年8月19日配信分https://www.pref.kumamoto.jp>site>kini-kuma
●金沢21世紀美術館 https://www.kanazawa21.jp