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24. 月島のゴジラ背中に秋時雨

   1954年(昭和29年)、勝鬨橋はゴジラに破壊された。ゴジラに壊されるほど有名な橋だったということかもしれない。現在、周辺の住所表示や地下鉄の駅名は「勝どき」となっている。「勝どき」では、意味が伝わりにくいと思うのだが。

24.月島のゴジラ背中に秋時雨

東京都産業労働局のHPにある「東京ロケーションボックス」には、ゴジラが東京を襲った様子が、

 「国会議事堂を破壊したゴジラが、上野方面へと移動した後に隅田川を下り、東京湾へ戻る途中でひっくり返すようにこの勝どき橋を破壊しました。」

 と書かれている。また、この映画の美術監督であった井上泰幸は『ゴジラ特撮映画美術監督井上泰幸』の中で、

 「また跳ね橋の勝鬨橋はゴジラにひっくり返されることになっていたので、橋の裏側まで綿密に作り込む必要があったのですが、実際に橋が開くのは1日に2、3回なもので、その裏側の写真を撮るためにじっと辛抱強く待たなければいけなかったんです。(中略)勝鬨橋の図面は橋を実際に作った橋梁会社から入手することができたので助かりました。」

 と語っている。映画「ゴジラ」を見ると、品川に上陸して国鉄の操車場を、銀座ではデパートや時計店を、そして国会議事堂や千代田放送所の電波塔をGHKのテレビカメラとともに壊して、一帯を火の海にする。その後、上野、浅草から隅田川を南下し河口近くまで来たゴジラは、勝鬨橋の月島側のアーチ型の固定橋部分をひっくり返している。中央の可動橋部分は壊していない。この破壊によって築地側に大量の水が押し寄せている映像も出てくるが、月島側にも水が押し寄せたことは想像にかたくない。この時代、月島と東京側を結ぶのは、北の勝鬨橋と東の相生橋の二カ所だけであるが、築地・銀座・日比谷方面へは勝鬨橋が圧倒的に便利であったから、勝鬨橋の破壊は月島にとっては大打撃である。このあとゴジラは悠然と東京湾の海面の中に帰っていく。可動橋部は破壊されていないから、井上が言うように「(可動)橋の裏側まで綿密に作り込む」という必要はなかったのではないか。しかし、リアリティーを追求する彼らは、見えないところを正確に作り込むことでより本物らしさを表現できると考えたに違いない。あるいは模型制作の段階では、ゴジラが勝鬨橋をどのように破壊するかははっきり決まっていなかったのかもしれない。井上は模型作りの工夫について、

 「円谷のオヤジさんをはじめ、スタッフの独創性には感心させられました。例えばオヤジは造形担当の八木兄弟に、蝋で出来た鉄塔の模型を作らせています。これにライトを当てると熱で塔は溶けていく。つまり、ゴジラの吐く熱線で崩れ落ちる塔の模様を表現するための技法なのです。」

 「ゴジラがノシノシ歩く道路のセットは二重構造になっていて、オガクズの上に石膏を流して強度を弱くしておき、ゴジラが踏み込んだ足を道路にめりこませるという仕掛けを作ったのですが、ゴジラよりも先に照明助手がそこを踏んじゃって、あっという間に壊れてしまった。」

 この本には、特撮ならではの興味深いエピソードが満ち溢れている。模型作りには、早稲田大学の建築学科のアルバイト学生も来ていて、みんな学校からの推薦状を持ってきていたというから、とにかく大の大人が真剣に本物らしさを追求したのである。子供騙しのチャチなものではなく、技術力のあるテクニックと説得力のあるストーリを組み合わせることに熱が注がれたのである。「本物を再現する意気込み」「実在する都市に現れた巨大生物を撮影する気持ち」「子供向けという感覚はありません」「セットに空気の層を取り込むこと」という井上の言葉が、それを表している。ゴジラは芹沢博士が発明したオキシジェンデストロイヤーによって死んでいくのだが、志村喬演じる山根博士は、

 「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない。」

 と戦後の日本映画としてメッセージを伝える。そして、これはまた続編ができることを観客に想像させるメッセージでもあった。東宝の期待通り日本の特撮映画の金字塔となり、多くのゴジラ映画を生みハリウッド進出も果たした。1998年(平成10年)には『GODZILLA』、2021年(令和3年)には『GODZILLA vs KONG』なども公開された。今では世界のゴジラになり、2023年(令和5年)11月にはゴジラ生誕70周年記念作品『ゴジラ−1.0』も公開され、日米で評判となっている。

 話を勝鬨にもどす。勝鬨橋の「勝鬨」という漢字に拘る人がいる。四方田犬彦は『月島物語』で、

 「わざわざ勝鬨という町名を考案したものの、『鬨』の一字が常用漢字にないという理由から、この地域は現在では『勝どき』と漢字仮名交じりで表記されている。世にも情けない話ではないだろうか。わたしはこの表記が嫌いなので、以下では『勝鬨』を用いたい。」

 と書いている。大賛成である。私は学生時代に建築を学んだが、教授に「建築以外の分野で感性の鋭い人が、町や建築をどう見ているかをよく見る必要がある。」と言われたのを、今でも覚えている。「文学における都市」という授業の課題は印象的だった。出来具合は別にして「永井荷風に見る日本とアメリカの都市」というようなタイトルでレポートを提出した。今だったら迷わず『月島物語』を取り上げたと思う。住んでいたからこそ書ける街。『月島物語』には、ひと・祭り・暮らしを含めた街の空気が丁寧に書き込まれている。

●「東京ロケーションボックスhttps://www.locationbox.metro.tokyo.lg.jp・・・都内で行われた映画等のロケーションに関する情報サイト
●映画「ゴジラ」制作:東宝 監督:本多猪四郎 特殊技術:円谷英二 1954年
●井上泰幸『ゴジラ特撮映画美術監督井上泰幸』キネマ旬報社 2011年
●四方田犬彦『月島物語』集英社 1992年・・・日本近代化論であり文学論でもある。さらに都市論でもあるという全く新しい形にまとめあげた上質のエッセイ。第一回斎藤緑雨賞受賞。

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