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アルフレッド巡礼記 5日目その3(2): ウィンチェスター市街地 ~シティ・ミル~

アルフレッド大王聖地巡礼記、5日目、その3の2:ウィンチェスター大聖堂を出て、周辺の史跡へ。
前回に引き続き今回も短いですが、「シティ・ミル」と、ローマ壁フィッシュアンドチップス

<<(前回はこちら)


◆本篇

>>各ページの補足はこちら

p5-19.

>>P. 5-19の補足へ→

p5-20.

>>P. 5-21の補足へ→

p5-21.

>>P. 5-21の補足へ→

また短いですが、今回はここまで。

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◆各ページの補足/リンク

各ページの補足というか蛇足というか。

[P. 5-19の補足]

◆ローマ時代の街壁

その他の写真など。

ローマ時代の壁の残骸…もとい、一部が展示されている箇所。
周辺の壁は後世のもので、鉄格子の奥にある瓦礫がローマ時代。
これは2011年撮影。
上記の案内板のアップ。
拙訳:「これは街のローマン・ウォールの遺跡のうち、現在見ることができる唯一の部分です。
(壁は)3世紀に完成し、144エーカーのエリアを囲って巡らされていました」
イッチェン川沿いのローマ壁のあるあたり。左側に見切れてます。
奥にあるのがスウィザン橋、その向こうがシティ・ミル。
イッチェン川の説明板。
拙訳:「先史時代のイッチェンは、(現在の)大聖堂の近くの流域の真ん中を、2本の本流に分かれて流れていました。
A.D. 70年頃に古代ローマの街が建設されると、次いで現在の人工の本流が作られました。これらにより、街の中心部の浸水が低減し、東部の防塁となりました。
中世には、川幅は現在のほぼ2倍でした」
スウィザン橋(シティ・ブリッジ/City Bridge)の説明板。
拙訳:「この近くには、街の5つのメインゲートのひとつ、イーストゲートが建ってしました。
中世には、門の2階に橋守の住まいと、聖ミカエル礼拝堂もありました。
聖マリア修道院(訳注:ナナミンスター)の尼僧たちが、東門と、近くのシティ・ブリッジ(訳注:スウィザン橋)を維持管理し、その見返りとして通過するすべての貨物の通行税を徴収する権利を与えられていました。
門は1768年に解体されました。」
聖マリア修道院 (St. Mary's Abbey) ついでに、現在は市長公邸となっている「アビーハウス」。
ギルドホールの隣、アビー・ガーデンズの一角にあります。
前にも掲示していたら重複すみません。
アビー・ハウスの説明版。
拙訳「アビー・ハウスは聖マリア修道院のあった場所に建っています。
1750年頃に建てられたもので、元々は(建物)背面のガーデン側に面していました。
現在の胸壁つきの正面部は、1771年に大通り(訳注:ハイストリート)が拡張された後に追加されました。
1790年代には、フランス革命の争乱を逃れてきたベネディクト会の尼僧達が、ここを住まいとしました。
ハウスは現在、ウィンチェスター市長の公邸として使用されています。」
川に普通に白鳥が泳いでいるのがイギリスすぎて衝撃。
鴨らしき水鳥も泳いでいました。
イッチェン川の別角度。
左の家のような、川にせり出しているバルコニー、どうやって取り付けるんでしょうか…。

[P. 5-20の補足]

◆シティ・ミル:

その他の写真。

水車の手前の水門。かっこいい。
水流。かっこいい。
ギア部?の別角度。かっこいい。
横軸?の連結部か何か。かっこいい。

[P. 5-21の補足]

◆パブ「アルフィーズ (Alfie's)」

若い人達や親子連れにもフレンドリーな、ファミレス的なパブのようでした。ビールほぼ飲めない下戸には有難いです。
「Pub (public house)」ではなく「Freehouse」とあり、違いがよくわからないのですが、特定の醸造所(Greene Kingとか)と専属契約していないパブ、という理解でいいのでしょうか。

フィッシュアンドチップスにパン(左)がついているのが謎でしたが、
チップス(ポテト)を挟んで chip butty というサンドイッチにする用?


次回
はいよいよハイド・アビー。また少しお時間いただくと思いますが、お待ちください…。

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アルフ巡礼者 / Alf Pilgrim
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