
杉本博司「Sugimoto」展 1996年 ハラ ミュージアム アーク(群馬)
1995年開催のメトロポリタン美術館から巡回してきた杉本博司の個展です。

『HIROSHI SUGIMOTO 日本語版図録』より
(1995年 森美術館 339ページ)
現代美術作家に専念する
この展覧会から急に作品が売れるようになり、杉本は骨董商をやめ現代美術作家に専念することになったといわれる巡回展です。
企画したのはマリア・ハンブルク。
彼女はMOMAのアシスタント・キュレーターだった頃、杉本博司が持ち込んだ作品を最初に見て、シャーカフスキーに買い上げを推薦した人物でした。
マリアは初めて杉本を評価しMOMA所蔵作家となるきっかけをつくったことになった訳です。1976年のことでした。
その20年後に杉本が売れっ子作家となる機会となった展覧会をマリアは再び企画したのです。
杉本は"私のマリア様”と言っています。
新作《千体仏》

のちに《仏の海》と呼ばれる新作は、撮影許可交渉に7年と2回の不許可を経て漸く許可された1994年の夏に京都の三十三間堂で撮影されたものでした。
蛍光灯など現代の照明は用いず、創建された平安時代末期と同じ東山から差す障子越しの朝日を受けたままの姿を撮影したものです。
展覧会図録『SUGIMOTO』

海景の水平線位置が表紙の上方、タイトルの下である
後年のカタログは水平線が中央になる
本文は英語表記で、日本版のみ「杉本博司展 カタログ別冊/日本語版」として日本語翻訳された別冊が添付されています。

カタログ別冊/日本語版
「SUGIMOTO」展 巡回スケジュール
■メトロポリタン美術館(NY)
1995年11月21日〜1996年1月14日
■ヒューストン現代美術館(テキサス)
1996年7月13日〜9月1日
■ハラ ミュージアム アーク(群馬)
1996年9月14日〜12月15日
■アクロン美術館(オハイオ)
1998年4月4日〜5月31日
日本国内のおけるこの展覧会前後の主要な作品・展覧会
1988年「杉本博司:ジオラマ、劇場、海景」佐賀町エキジビット・スペース
1991年「杉本博司:Time Exposed」佐賀町/IBM箱崎前庭」
1996年「Sugimoto」ハラ・ミュージアム・アーク
2002年 「護王神社」べネッセアートサイト直島
杉本博司の作品が売れるようになり、兼業の骨董商をやめて現代美術作家に専念するようになった1995年から始まった展覧会「SUGIMOTO」展を振り返りました。
海外で売れっ子作家になった杉本ですが、この頃の日本国内ではまだ「写真家」と思っているひとが多かったようでした。