あの日、あの時…1.17 Kobe
神戸を離れて気が付けば、もう28年。
いつかは神戸に戻ろうと思いつつも、結局帰ることが出来なかった…いや、帰りたくなかったのかも?
28年前のあの日…
未だ俺は実家暮らし。
社会人3年目で、仕事も慌ただしく国内外に出張に飛び回っていて、当日も東京出張で新幹線に新神戸駅から乗るために地震発生時間の少し前に目覚めて、ベッドに座っていた。
今でも鮮明に覚えているのが、何処からともなく地鳴りのような音が聞こえてきたかと思うと、一瞬で強烈な揺れが起きた。
当時住んでいた実家は14階建ての11階。
生きた心地はしなかった。
産まれて初めて死を意識した瞬間だった。
揺れが収まり、部屋には散乱した家具が横たわり、隣の部屋の冷蔵庫まで部屋に飛び込んできていた。
食器棚は倒れ、割れた食器が床一面に散乱。玄関の分厚いドアは曲がって開いていた。
家の中で安否確認して、家族の無事を確かめて外に出ると、警報機のベルが鳴りやまない。
当然、エレベーターは使えず、階段を下りて1階に出ると沢山の住人がパジャマのまま外に出ていた。
俺は隣の駅に住む祖父母の家に安否確認に走って向かった。
幸い、祖父母も無事だったが、その道中で千切り取られたようなビルがあちこちにあり、その光景を現実のものとして直ぐには受け入れられなかった。
昨日まで何もなかった街が、まるで怪獣が暴れたか、空襲にでもあったような光景。
本当にこれが現実で起きていることなのか?
未だ、夢の続きじゃないのか?
そうであって欲しいと願うくらいあの一瞬で、それまであった日常を容易く奪っていった日…
数日後に出勤したら、電車通勤は出来ないだろうからと直ぐに独身寮の部屋を与えられ、また何もなかったような日常が始まり、それまでと同じように国内外を出張で飛び回る平日を過ごし、週末は何時間も掛けて車で神戸に戻ると、現実に引き戻された。
避難所を転々とする両親。
母親からはストレスで
「あんたにはこの苦労が分かるか!」
と罵られ、また日常に戻る生活。
神戸の惨状は大阪で生活していると微塵も感じない。
ましてや、出張で地方に出掛けると移動に使ったタクシーの運転手さんが世間話で震災のことを話題にするので、その神戸で被災したと言うとよく驚かれた。
半年後にようやくライフラインが復旧して、住んでいた実家も半壊判定が出ていたが改修され、母親に何度も戻って来いと言われたが、俺は結局、結婚を機に独身寮を出るまで5年間独身寮で暮らした。
勿論、仕事やプライベートで神戸に帰ることが有っても、あの日から一度も神戸には住んではいない。
丁度、3年前のあの日から25年の時、初めて毎年行われている東遊園地の式典に出向き手を合わせた。
何処かで自分の中でケジメを付けたかったのかも…
今日はそんな忘れられない日。
結局、毎年この日の夜は未だに眠れず、朝まで過ごしている。
今年も6434本のろうそくに火が灯される…
黙祷…