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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(6)叺三十万枚の懇請

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6 かます三十万枚の懇請こんせい

 九月十七日か十八日かの午後のことであった。
小屋の中でぼんやりと雨を眺めていると、豪雨をついて、谷の坂路に息をおどらせながら登ってくる男の人がある。
 
 「久保さんはおられますか」
 「何かご用事ですか」
 「久保さんが、この山におられるとのことで……」
 「久保は私ですが」
 
 と言うと、その人は何か重要なことがらがあるかのように、
 
 「すみませんが、県庁へご足労してください」
 「いま、県庁の事務所は?……」
 「向洋の東洋工業会社に仮庁舎があります」
 「へえ、いまどき何の御用だろうな」
 「どうか、かならずご足労お願いします」
 「あすにも、参りますから」
 
 と私は返事をした。
そして翌日、とりあえず出かけることにした。

 今朝も雨はなお降りつづいている。
市中の大半の橋は、焼失または流失している。
したがって、向洋へゆくにも道路は不通である。鉄道も汽車は不通である。
だから、鉄道線路にたよって歩く以外にすべがない。
谷を下ったときは、雨はどうやらやんでいた。

鉄路の下にしいてある枕木は、放射光線で焼けて、なかば焦げてしまっている、破壊と、なかば焼け失せた己斐こい駅から、とぼとぼ歩いて、焼け失せた横川駅を右に見て広島駅へ出た。
広島駅のコンクリート建築も、見る影もない残骸となって、木造のところは吹き飛んでいた。

三時間もかかってようやく向洋へたどりついた。
途中、ときたま罹患りかん者に行き逢ったが、栄養失調が顔に出たのか、目から白い牛乳様の液を出している人を見受けた。

 県庁の仮庁舎は、東洋工業株式会社事務所二階の大広間である。
私の知人はみな無事だろうかと案じながら階段を上った。
藤島農政課長は私の顔を見るなり、
 
 「久保さん、久保さん、無事でよかった」
 
 と緊張した面持でいう。
部屋の中にも何か緊迫した空気がある。
杉原事務官も席を立って、
 
 「こちらです。無事で何よりです」
 「課長さんも杉原案もご無事で……」
 
椅子を出しつつ杉原さんは、
 
 「まあ、おかけなさい」
 「菅野氏と坂本氏の姿を見ないですが、お怪我でもなかったですか」
 「県庁舎は全滅です。出勤しておった者は全部死んでいる様子だよ」
 「そうでしたか。全滅でしたか……」
 「坂本氏はたしか登庁していたはずだから、たぶん爆死でしょう。
  菅野氏は途中だったはずだから、おおかた火傷かも知れないね。
  たしかなことは判明しませんがね。
  ともかく、久保さん、ご無事でよかったです」
 
 こうした挨拶が一応終わったところで、藤島課長は言い出した。

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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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