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人事評価って、どんな感じなの?その本質をズバリ知れば、「飲み屋で愚痴大会」はしなくてすみます。

アレックスです。
今日は「人事評価」

でも、愚痴レベルとかじゃない。
制度とか仕組みじゃない。
「人が人を評価する」ことの本質。

ここに切り込んでいきたいと思います。

さて結論いっちゃいます。
「人事評価は、サクラダ・ファミリアである」

サクラダ・ファミリア。
1882年着工。以来、今も建築中。

私が、とある方の言葉にハッとしたときがあります。
「人が人を評価するって、神様でもない限りできないよね。」

もちろん上司が直接的、表面的にこんなこと思ってちゃダメです
そういう意味じゃないんです。

「人が人を評価する。それは永遠のテーマ。そして難しくとも、常に練磨されるべきテーマ」ということです。

よくありますね。
「あの人は、全然評価しない!」
もちろん「悪意があって評価しない」ときは、問題外ですね。

たいていはそんなことないんです。
その人なりに「公平」だと思って評価します。

でもハレーションは起きますね。
「本来、〇〇であるべきなのに、上司はわかっていない」とか。

よくある風景です。

私は、もし「不本意な評価」に出くわしたとき、こう考えるといいと思っています。
「あ、、、私、成長したんだ」って。
自分をまず誉めてほしいのです。

解説します。
上司と、スペック的に距離があるときは、何をやっても「がんばったね」ということで、評価は上振れします。

新人と上司とか。
距離があると、評価は好意的になります。

もちろん人事制度ですから、コンピテンシーがどうのとか、「がんばりではなく貢献度を評価すべき」とか、細かい定義はあります。
ありますけど、”上振れ”します。

逆に距離が近くなると、ハレーションが起きやすくなります。
自分もある程度仕事を回せるようになってきた。
自分もある程度会社のことがわかってきた。

自分の中に「あるべき姿」が形成されます。

こうして上司と距離が近くなると、
「評価してもらえない」「わかってない」などハレーションが起きやすくなります。
上司も、基本的にはまじめな人ですが、どんなに頑張っても、価値観と価値観の評価になるので、ハレーションは起きやすいです。

逆に。
距離が近くなって、ハレーションが起きているということは、
「自分がそれだけ、上司に近づいた=成長した」ときです。

だから、まず自分を誉めてほしいのです。

そして「サクラダ・ファミリア」の話をしました。

「人が人を正当に評価するのは、神様以外不可能」
これが本質です。

でも、身も蓋もないなんて思わないでください。
だからこそ、一生懸命、制度を磨き、運用レベルを上げる努力が必要。

人事制度のトレンドは日々進化しています。
でも、どれも「手放しで喜べるもの」はありません。
それでも、なんとか「良かれ」としていく、これが人事評価だと思っています。

だからまず、評価に文句を言う前に、深呼吸してほしいんです。
「あ、私、成長してるんだな」って。

そして「サクラダ・ファミリア」だから完璧はないよなと思ってみること。

その上で、「本当に不当かどうか?」考えてみましょう。
深呼吸して、「人が人を評価するむずかしさも理解」して、それでも納得できないなら、それは主張すべきです。

不服申し立て制度がある企業は、それを使いましょう。
ただし、申し立てにより、評価が覆ることはあまりないです。

だって「会社として、ミスを認めること」になるからです。
でも、上司への抑止力にはなります。
ただ、上司との関係は、ギクシャクするかもしれません。

だから「主張するとき」は、ヒートアップしない方がいいです。
語尾に必ず「かもしれない」「と感じているんです」などやわらかい言葉を使いましょう。

それにしても、たくさんの「人事評価」をみてきましたが、人間って難しいなって思います。
例えば、貢献度が高くて評価されても、
「もっともらってもおかしくない」と思ったりします。
逆に、少し釘を刺した程度でも、
「あの人は、全然わかっていない」と一刀両断されたりします。

難しいんです。人事評価。
だから、サクラダ・ファミリアだと思って、割り切れるところは割り切って、それよりも「自分はどのくらい成長できているのか?」そこに焦点を当ててみてください。

このへんの力加減をお伝えするのって、難しいです。
人事評価を「諦めろ」といっているわけではないです。
そんな隠遁者にならなくてもよい。

でも、心のどこかで「サクラダ・ファミリア」と思うことは大事だと思っています。

よくあるのは、
・評価が納得できない
・不当であると主張して、衝突する
・その結果、言われた方も、言った方も「憔悴する」パターンです。

これを「人事評価の罠」と呼んでいます。
ある意味、視野が狭くなっているかもしれません。

そこだけ、に焦点を当てるのではなく、視点を広げてみましょう。
本当に納得できないなら、相手を変わらせることよりも、自分が変わる(転職など)ことも、大切な勇気です。

会社説明会などで、先駆的取り組みを紹介されることもあります。
それ自体すごくよいことですね。
でも、過剰に期待するのも、かえって「毒」になります。

「この会社は、なんとかよくしようとしている良い会社だな」くらいに思って、過剰に反応しないくらいがよいと思っています。

今回は「見分ける」というよりも、良い意味で「達観」するという話でした。

評価が客観的か、評価定義に合致しているのか、もちろんそれも大事。
でも、最後は「人間誰しも、欠点はある。その人なりに、誠意をもっているかどうか?」ここで判断すること。

そして「相手を変えるより、自分が変わること」の方が、はるかに飛躍できることもある。

そんなことを思い出していただけるといいかな、と思います。

それでも、人間ですから、ストレスたまったら「飲み会」ででも発散しましょう。
あれ?・・タイトルといっていること違うぞって突っ込まれそうですが(笑)


今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

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