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【育児の思い出】川崎病〜紹介状を持って〜
7月23日(月)
市立病院へ行くと言うと同じマンションの幼稚園ママ友が上の子達を預かってくれると言う。いつも通り3人連れて行こうと思っていたが、ママ友は産婦人科から小児科で市立病院に行き慣れているそうで、受診する際のその過酷さから申し出てくれたのだ。
私は知らなくて少し舐めていた部分もあったが総合病院の月曜日の小児科は激混みだった。
受付開始の30分前にはもう狭い受付に長蛇の列。その後、紅斑を麻疹と疑われ小部屋に入れられて座ることはできたが、何時間経っても誰も呼びに来ない。
忙しいだけか、忘れられたのか。
病気とは別の不安も付きまとう。
確かにこれは上の子(小1と年中)は連れてこられない。
それに市立病院は特に体の弱ったお子さんが来る所。なんの菌を持っているかわからない関係のない子供を連れて来る事はとても迷惑な話だった、と気づいたのは我が子が退院後外来受診をする時だったので、
その時点では自分の事しか頭になくて大変お恥ずかしい。
忘れられている不安がピークに達した時、医師がやって来て一目見て、『麻疹じゃないわ』と言われ若干怒りも湧いた。
この一言のために40℃の熱がある子供を何時間も抱っこで揺らしていたのか?
紹介状に書いてないのか?
しかしそれも最大限効率よく患者を回すためには仕方のないシステムだったのかもしれない。私は病院の仕方ない事情と患者側のあまりにも大きい負担との間でモヤモヤ思考でさらに疲弊した。
本格的な診察が始まり、私からの一通りの説明を聞き、紹介状を読んだ上で医師は『大きい声で泣いてるし別に大丈夫だと思うけど、熱が高いから一応血液検査しとく?』と言った。
幼児の採血は容易ではなく、次男はこれまた一層地獄の叫び声を上げ続けた。
処置室には入らないけれど、大抵のお母さんは涙が出るほどのシーンだと思う。
しかしこの時は、家で次男の様子を見ているのは恐怖に近いものがあったので、病院内にいる事で、何の病気かはさておき私はほっとした気持ちで扉を見つめていた。
結果が出るまでにもかなりの時間がかかり、
診察時間も終了し昼休みの時間も過ぎて待合室には誰もいなくなった。
血液検査の結果が出るまでの間に公衆電話からあちこちに電話をかけた。
市立病院には慣れているママ友でさえ、私たちが帰宅しない事を訝しく思っていたようだ。
私は夫の会社にも電話をして早退して上の子たちを迎えに行って面倒を見るように手配した。
携帯電話はある時代だったが、我が家では必要性を感じなくてこの時は持っていなかったのでこの事ひとつとっても心身の負担は大きい。
がらんとした小児科外来で子供と2人だけになって、またまた忘れられたのかと不安になった頃に診察室に呼ばれた。
『さっき、たいした事ないって言ったけど、たいした事あったわ』と医師に言われ、
『はぁ・・・血液検査してくれて助かった』と心底思った。
こんなところまで来てこんな時間かけられて、大声で泣けるから大丈夫、様子を見ましょう、で連れ帰っていたら最悪死んでいたかもしれない。
少しホッとしたのも束の間。
入院するのに付添が必要になり、
夏休みに入った上の子達の事もあったので実家の近くの病院に移りたかったが、
急性期で動かせない。運が良かったと言えばいいのか子供達は夏休み。
退院まで2週間ほどと聞いたので、私の実家に許可も取らずに預けることに、独断でこの時に決めた。決めるしかなかった。
実家にはこの後病院の公衆電話から、テレホンカードの数字がすごい速さでなくなって行くのを見ながら早口で上の子たちをお願いした。
2日後に夫が飛行機で連れて行く手筈となった。
診察後はそのまま帰宅することなく病棟へ入り、熱が高いため個室へ通された。
遠くで絶えず医療機器の音はしていたが、静かな部屋で、小さな字で大量に書かれた細かな脳内スケジュール帳はひとまず閉じることができて、次男をベッドに寝かせられて、ようやく一息つくことが出来た。
真夏に40℃の子供をずっと抱っこしているのはなかなかキツい。
少しして主治医となる小柄な女性医師がやって来た。
外来にいた医師とは違って物腰も柔らかく丁寧な口調で『紹介状が書かれたのは土曜日午前となってますが、こちらの受診が今日になったのは何故ですか?』と聞かれた。
私はかかりつけ内科医に言われた通り『市立病院は土日は行っても診ないから様子をみて、熱が下がらないようなら月曜に行くように』
そして『下がらないので来ました。』と答えた。
主治医は『あー・・・』と言って下を向いて二、三回頷いて明るく『わっかりましたー』と言って部屋を出た。
どういう意味かはわからなかったが、入院中にもいろいろ聞いたので市立病院に入るのは簡単な事ではないのは確かだった。
この小児病棟に入ったのは午後3時頃。
受付をしてから7時間が経過していた。
入院や治療に関して何枚もの書類に署名をして、ここからガンマグロブリンの大量投与が始まった。