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花相の読書紀行№.51『同志少女よ、敵を撃て』

ソ連の女狙撃手が守るものは?

【同志少女よ、敵を撃て】/逢坂冬馬
<あらすじ>
第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作品。
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?

★感想
独ソ線を描いた小説は、たぶん初めて読んだと思います。
ナチス・ドイツが行った侵略や殺戮については、映画やドキュメンタリーで幾度となく観ましたが、小説を通して知ることはなかなか無かったように思います。あえて上げるとすれば、ボブ・ラングレーの「北壁の死闘」の中で少し触れられたくらいでしょうか?
ソ連軍の中に女性の狙撃手が実在したことも、この小説を通して初めて知りました。

本作品は、エンターテイメントとしては面白い作品だと思います。
戦争映画を観ているような感覚で、ラストまで読みましたが、最後の戦いの部分については、それまでの流れからすると劇画的過ぎのような感じを受けました。

戦時における凄惨な描写については、意外とさらっと読んでしまった感があります。
リアルさから言えば、終戦前の沖縄の離島を描いた蓮見圭一さんの「八月十五日の夜会」に出てくるシーンが、より恐ろしく感じました。(これは日本人であるが故に、そう思えたのかも知れませんが‥‥)

ソ連側から見た戦い、ドイツから見た戦い…そこに居た住民と兵士。
戦争を知らない私いは、歴史の史実を目にすることで理解するしかありません。
その中で行われた女性に対する醜悪な扱いは、女である私の視点から見れば腹立たしいことこの上ないのですが、そのことで生き残ることが出来たことも一部事実としてあります。

“お前ななんのために戦うのか?”(教官)
“私は、女性を守るために戦う”(主人公)
武器を持たずにそれが出来たら、本当に良いと思う。

今、ウクライナ侵攻をしているロシアをただ単に残虐な生き物のように感じるだけではなく、もっと様々な角度から出来事を観なくてはならないと思います。
もちろん戦争については、決してあってはならないと強く思っています。
ですが、SNSやメディア等に躍らされることなく、真実はどこにあるのかを考えなくてはならないですね。
(それはとても難しいことのようにも思いますが‥‥)

私は、日本で一番ロシアに近い北海道に住んでいながら、その隣国の歴史も含めて深く知ろうとしなかったことに反省させられた作品でした。

もしも出来ることなら、某国大統領の心の中を除いてみたい‥‥。

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