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先生から見た発達障害生徒とその関わり方

現在、私は特別支援教育者として働いている。
最近何かと話題になりやすい、発達障害。それについて学べる環境にいる。とはいうものの、本校に限るかもしれないが、正直この現場は、望んで特別支援教育者になりたいからと、資格を取ってまで集まってきた集団ではない。ただの普通の教科の教員免許を持つ人間が、制度上、本人の意思と関係なく、勝手に特別支援教育者として配属されただけの集団であり、皆、大した専門性もないまま、試行錯誤してるだけの残念な集まりである。勿論、研修等はあるので、自己研鑽は可能だが、現状人手不足であり、何の専門性もない酷い機関だなとつくづく思う。教師がこんなこと言うのは良くないのも、重々承知だが、ぶっちゃけ何の意味があってこんなことやってんだ?と思わされることも多々あるのが事実。それでも、やっていかなくてはならない。
我々が指導する対象である児童生徒も、発達障害について何となく知識があり、人によっては、私はADHDだの、病気だのと言ってくる時もある。正しい診断名を伝えてくる子もいれば、ネットで見た、あやふやかつ、誰にでも当てはまりそうなことを鵜呑みにして、無根拠に、覚えたてのカッコイイ、難しい言葉を言ってくる子もいる訳で、本当に生き辛い世界になってしまったなと思う。
どこかのツイートで見たことなので、私の意見そのものではないが、ドラえもんの世界を思い浮かべると、凄く理解がしやすいので、書き記したいと思う。のび太くんという、何もできない子どもが、未来のロボットに助けられる話は誰でも知っているだろう。だが、今の時代、これを特別支援の観点から述べると、のび太くんという、発達障害の疑いのある児童が、未来から来た合理的配慮ロボットによって助けられるという話になる。昔、それこそ、昭和や大正といった時代では、のび太くんの扱いは、のろまで、何にもできなくて、弱い「性格」の普通の男の子だった。が、今は違う。元のツイートは確か、のび太くんの母親は毒親だというものだった気がする。なぜなら、のび太くんは発達障害があり、頭ごなしに怒ったところで何かが解決できるわけではないからだ、というロジックを元に、この話にはいくつものコメントがつき、その多くに「発達障害」という言葉が含まれていたのも印象的であった。そう、我々教員ですら、残念ながら発達障害についてプロとして胸を張れる程詳しい訳でもないのに、極一般的な人間が、ホイホイ、当たり前のように「発達障害」という言葉を使うようになった訳だ。その中には、子どもも含まれているわけで、何でもかんでもカテゴライズして、決めつける時代になってしまったと、私は感じている。ジェンダーだって、同じようなことが言えるが、それはまた別のnoteにでも書こうと思う。とにかく、昔ならば(私が子どもの頃もギリギリそうだったかもしれないが)、そういう性格の子、ということで「普通」とされてきたものも、今ではカテゴライズされて、「異常」とされるのである。
ここまで書くと、カテゴライズとは悪いことだらけだ!と批判したい人に見えるかもしれないが、勿論これには、メリットも存在する。カテゴライズされることで、安心する人間は多い。基本人間は、得体の知れないものに恐怖を感じる為、こうやって、自分は何者かが分かるというのは有難いことである。WISCという、子どもの知能検査についても有名になりつつあり、自分がどんな人間か、具体的な数値で知れるシステムまである。だが、やはりそこには倫理的にどうなのか?と考えさせられることもある。
ポケモンというゲームをやったことがある人は多いだろう。近年、ゲームのシステムがより向上し、個体値という、ポケモンの能力値の数字を、具体的に見ることができるようになったのだ(昔は計算して出さないといけなかったのだが)。私がここで言いたいのは、ゲームが凄いということではなく、先程話に出したWISCとは、ポケモンの個体値のようなものであるということである。人間界において、こういった能力値が数字で見えることにより、子ども達には合理的配慮がしやすくなる。因みに、サラッと先程から使っている専門用語「合理的配慮」とは、障害のある人が社会や日常生活内で受ける制限を取り除く為、各々の症状に合わせて行われる配慮のことを言う。例えば、文字が元々脳の機能上真っ直ぐに見えなかったり、物凄く気が散ってしまい、順序通りに文が読めなかったりする子ども達が存在する。そういった子達の為に、定規のような、どこを読んでるか分かりやすくするツールを貸してあげる等、これが合理的配慮である。この子は見る力が弱い、この子は考えるのが同学年の他の子よりゆっくりである、そういったことが分かるのは、子ども達に適切なヘルプをするのにとても大切なことである。
だが、さて、ポケモン界において、主人公サトシのように、弱いポケモンなんていない、特訓で一緒に強くなるんだ!と考えてくれるトレーナーはどれだけいるだろうか。弱点なんて関係ない、根性で乗り切れるんだ!と言ってくれるトレーナーがいるだろうか?基本ガチ勢と呼ばれる人達は、個体値や技の戦略によって使うポケモンを決める。ポケモンが弱ければ弱い程、技が強くなるという例外もあって、そう記載したものの、基本的には個体値が全てだと私は思っている。サトシのように、最終進化系でもないし、個体値がMAXとも言えないピカチュウを、手持ちにずっと入れておくなんてことはしないのだ。では、600族という言葉はご存知だろうか?個体値が高い、ドラゴンタイプのポケモンは、そんな風に呼ばれ、強くて、皆が使おうとするからこそ、この名前が一部では有名である。このように、数値で表された世界には、できるやつとできないやつ、いいやつとダメなやつのように、優劣がハッキリとしやすい。メリットだって多い反面、数値が全てになってしまう落とし穴もあるので、数字の過信は良くないと思っている。因みに私は、手持ちポケモンは、見た目が好きなポケモンしか入れない。これは、現代でも大きな問題になっているルッキズムにも関わってきそうだが、それもまた別のnoteで。
私も極度のADHDなので、ついついこうやって、ドラえもんやポケモンのように、話がとっ散らかってしまうのだが、これを個性とするのか、欠点とするのかは、本人の特性の活用方法と、周りの人の認識や捉え方によると思う。教員として、最大限この特性を生かし、児童生徒達からは、ゲームとネットが好きな、友達みたいなおもろい先生として扱われることが多い。だが、一歩間違えれば、話が散らかりすぎてマトモに授業もできないダメな大人になってしまう。
曖昧な知識や数字で判断された世界は、子ども達にとってとても窮屈な世界なのだ。だからこそ、数字で判断される「認知的」なところではなく、「非認知的」なところに目を向けて、教育も、子育ても、やっていかなくてはならない。
これは保護者に対する慰めになるかは分からないが、自分の子どもが発達障害だからと、自分や子ども達をどうか責めないで欲しい。WISC検査や発達障害検査で知った、数字とカテゴライズ名だけで、どうかその人を判断しないで欲しい。ここは人間界であり、ポケモン界と違って、数字で見えないことの方が、多いのだから。ダウン症と聞いて、変な偏見を持つだろうか?私や私の恩師が関わってきたダウン症の子達は、本当に優しく、繊細で、素敵な子達ばかりだった。検査による数値がどんなに酷いと思えても、数字で測れない個性は、優しさのように沢山あるのだ。のび太くんだってそうだ。走るのも遅い、勉強もできないし、喧嘩も強くない。でも、優しい。これは殆どの日本国民が知っているだろう。彼は人の悲しみを、自分事のように悲しめる人だ。これが、本来、彼が賞賛されるべきところだ。病名がつくと、病名と呼ぶだけあって、どうしてもネガティブな印象を抱き、悪い点にばかり目が向く。でもそれは本来あるべき姿ではない。のび太くんは、発達障害だから仕方ない。そうやって諦めるのではなく、彼の特性に合わせた合理的配慮をし、彼しかもっていないいい所を、最大限生かしていくことが、彼が社会で生きていく上で本当に大切なことなのだ。
私は発達障害のプロではない。まだまだ2年目のビギナーである。でも、この世界に来て、子ども達の見方が変わった。最初は数字だけで判断し、ポケモンを見るような目をしていただろう。最低だ。でも、それは仕方なかったし、通るべき道だとも思った。子ども達の生の声を聞き、苦しむ気持ち、悩む気持ち、希死念慮にも近いネガティブな言葉を何度も聞いた。そしてそれを抱えながらも必死で生きている姿、何より、誰かと関わったり、何かができるようになったりした時の楽しそうな姿を見て、また彼らの見方が変わった。
カテゴライズは、安心に繋がるが、自信過剰になると、それはそれで破綻する。型に嵌ったと思っても、似ているだけでそうではないこともある。だから、カテゴライズとは時に危険なのである。子ども達1人1人を見て、密に関わっていくことが大切で、それは学校という現場だけに限ったことではない。
数十年前、これらはただの個性だった。個性と言われて、本当の自分を知らず、今も尚苦しんでいる人達もいるかもしれない。でも、病気だと一括りにもしないでいただきたい。特性は治らない。だから、上手く付き合っていかなくてはならない。自分の特性を知ること、他者の特性を知り、必要な合理的配慮をすることが、我々の人生や教育界を良くしていく一歩だと思う。

発達障害で悩む人、教育者として悩む人、子どもの保護者として悩む人等、沢山いると思う。この記事を読む人がいるかどうかも知らないが、もし私にできることがあるなら、何でもしてあげたいと思う。専門的と言えるかは分からないが、教育者の1人として、支援できればと思います。何かありました、コメントまで。

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