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ケアの倫理

「ケアの倫理」(岡野八代署)という岩波新書を読んだ。仕事柄「高齢者ケアの倫理」を読む気持ちで手にしたのだが、そんな類の本では無かった。

この本で、ケアとは、生まれてから死ぬまで人が受けるであろうケア全てのことだった。そして私たちにとって最初に受けるケアとは母親からのそれである。人類は母のケアが無いと生きられない種である。

さらに生活にはケアが溢れている。例えば普段の食事を家族に作るのも、職場の掃除も、回覧板を回す行為も、お互いのためのケアである。

しかし、そのケアの価値は、家父長制の下、政治の下で軽く見られた。女は、母は家の中で子供を守るのが役割とされ、そこに閉じ込められてきた。そこは無償の愛が前提となっている。無償だから美しくて尊いというのが前置きになっている。言って見れば押し付けられたケアの倫理だ。

ところでこの本はフェミニズム政治論として書かれている。私自身がこのジャンルの本を読むのは若い頃の上野千鶴子の本以来だろう。残念なのはアメリカのフェミニズム理論の紹介に終始していることだが、しかしだからこそ自分の頭で考えさられる。

この押し付けられたケアの倫理が高齢者ケアを苦しめているという気がしてならない。まず、介護職の処遇である。政府が介護職の給与水準を議論するときに引っ張り出してきたのは、他の全てのブルーカラーワーカーの給与との比較である。決してそれはホワイトカラーのものでないし、他の医療職との比較でもなかった。現場にいると分かるが、介護職はプロフェッショナルである。特に家族制度が崩壊して、多くの家庭がその役割を担えなくなったことからプロとして仕事をしている。

同様に保育士もプロである。両親が同等に働くので子供のケアが担えなくなったのをプロとして引き受けている。

未だ政府は海外からの労働者を期待しているといる。この政策は円安で完全に的を外した。またロボットにその役割を担わせようと補助金を出しているが、代わりにできるのはほんの一部の業務でしかない。

さらに科学的介護という発想が加わった。介護報酬改定では、科学の名前を借りた家父長的な権限で様々な規制を加えてくる。介護職の給与は行政が科学的にマネジメントされるべき対象らしい。この発想にもケアに対する政府の考え方が露骨に現れている。

ちょうど雑誌老健に私の科学的介護についてのエッセーが載ったところ。雑誌のこの号が科学的介護推進のために書かれているが、私の巻頭言だけが喧嘩を売ってしまったようだ。
https://www.roken.or.jp/wp/wp-content/uploads/2024/05/rashinban-06-1.pdf

介護保険制度は世界に類を見ない制度である。ご存知だろうが、介護保険の財源は、保険料が50%で、残りは住民税25%県税12.5%国税12.5%だ。

介護保険財政のほとんどが人件費だ。つまり介護職の給与を上げるためには、保険料を含めた負担分を大きくするか、今政府がやっているように、別の補助金(主に消費税が財源)をちょこっと入れて給与水準を上げるしか無いが、それは民間の給与上昇やインフレには見合っていない。

次の議論はどこに行くのだろう。ケアは愛の行為だから素晴らしい、という風に官僚や政治家が発言したら介護職なんていなくなる。介護保険はすぐにでも崩壊するだろう。

時間はかかるけど、介護保険制度はそのケアに時代に合った値付けをする仕組みだから、ケアの倫理とは何か、続けて考えていきたい。








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