ゲームの王国 上
全く先入観の無い状態から始めた。読み始める前はタイトルからはルノワールの映画「ゲームの規則」か、レディープレイヤーワンみたいな小説かなと想像していたけど、話はいきなりカンボジアに行くのだ。しかも主人公はサロト・サル。この名前を知っているのであれば、それはカンボジア通だろう。そして彼のある気づき、「結局のところ、権力を握った者が全てのルールを決めるのだ」ということになり、サロト・サルがぎその後の共産党内での議論を操っていくプロセスが描かれていく。そして彼にとっての「カンボジアを正しい形に直すのだ」という決意となる。ゲームのルール「規則」というキーワードが早くも出てくる。
それからはプノンペンの家族描写。アモックという食事がご馳走ということで早速作ってみたが、レモングラスの香りのついたスープカレーと感じたけど、インドのカレーと同様沢山のバリエーションがあるらしい。2章にもストーリーの全体に影響する女の子が登場する。 その名前はソリア=太陽らしい。
次第に現政権の恐怖政治からポルポト時代に入っていく。それは生きるか死ぬかのゲームとなっていく。警察内部での密告である捜査官が「それでもこのゲームであなたが負けたことに変わりはありません」。
プノンペンを離れ話はカンボジア奥地の開墾地に飛ぶ。ポルポト時代にはプノンペンの人びとは皆田舎に送られ農業に従事することでユートピアが作れると信じられたからだ。
登場人物が急に増えて混乱を来たしそうになるが、ロベーブレソン村は、人物の宝庫。石と会話したり、輪ゴムで未来を予測したり、荒唐無稽な人物がか活躍する。そしてこの世代が、彼らが遊ぶ鬼ごっこでも「ダメだよ、ゲームなんだから、ルールは守らないと」と、ゲームの規則が言及される。
この本の主題はタイトルの通り「ゲーム」そのもの。一方クメール・ルージュの革命は「みんなが決めたルールの中で勝つっていう、なんというかゲーム的な行為ではなくて、そもそもそのルールの外からルール変更を押し付ける」もので、「世の中がうまくゲームのようになっていければいいんだけど」という2巻のテーマが提示されていく。
引き続きポルポト政権の中で、人物がそれぞれ「自分の生死を分けるクイズ」を乗り越えたり、失敗して殺されたりしながら、2巻への導入部となっていく。
この本はゲームのルールと政治のルール、を対比させつつ、共通と差異を繰り返しながら、物語を作っている。作中人物は「地図と拳」と同様たくさん。「地図と拳」が満州あるいは「土地」が主人公だとすれば、こちらは「ゲーム」が主人公のようだ。
ポルポト政権自体が私が生まれる前後の話であり、カンボジアの位置ですらタイとベトナムの間にある国というイメージしか持っていなかった私には学びは多かったかな。