【寄稿】フォリー=ベルジェールより愛をこめて
どこか物憂げな表情でバーカウンターに立つバーメイド。その背景には社交場に着飾って訪れた人々の姿が伺える。画面の左上、チラリと見える曲芸師の足がフロアの歓声を起こしているのだろうか。その場の喧騒が容易に耳元に浮かんでくる。
そんな賑やかな雰囲気とはあまりにもかけ離れた女性の表情。そこから何を読み取ればいいのか見当もつかない。そもそも彼女の表情が何かを表しているという考え方が傲慢なのではないかとさえ思う。
唐突に書きだしてしまったが、エドゥアール・マネの《フォリー=ベルジェールのバー》を観た時の話だ。
普段はイギリスが誇る印象派・ポスト印象派の殿堂、コートールド美術館に所蔵されている本作品。現在はルノワールの《桟敷席》やセザンヌの《カード遊びをする人々》(下の画像)などといったあらゆる貴重なコレクションと共に、東京都美術館で行われている企画展『コートールド美術館展 魅惑の印象派』で鑑賞することができる。
詳しい内容は特設サイトを確認してもらうのがいいだろう。先に挙げた作品の図版と解説も確認できるし、それ以外にも見逃せない作品が多々集まっていることが分かるはずだ。(個人的にはセザンヌの《キューピットの石膏像のある静物》とスーラの《クールブヴォワの橋》が印象的だった。ある程度有名な作品にはやはりそれなりの理由があるのだ。)
閑話休題。
もう一度《フォリー=ベルジェールのバー》の話題に戻そう。
この作品は背景である「鏡に映った虚像」とバーメイドを主とする「実像」(絵画なのに実像という言葉遣いも変だが)からなっている。ピンとこない人はバーメイドのカウンターについた手のすぐ上に描きこまれた鏡の外枠を探してみて欲しい。この絵画の背景が「鏡に映った虚像」で構成されているということが分かるだろう。
そうするともう一歩、別のところに気がつく人がいるかもしれない。
画面の右側に描かれた女性と男性の姿。これは当然「鏡に映った虚像」だが、そうすると実像としてのバーメイドとの位置関係が不自然になっている。本来ならば画面右側の虚像のバーメイドは画面真ん中の実像のバーメイドのすぐ後ろに描かれなければならないはずだ。
あるいは画面の左側、カウンターの上に並ぶ瓶の数と鏡に映る瓶の数も一致していないことに気がつく人もいるだろう。
その他にも虚像はぼんやりと実像ははっきりと描き分けていることや客席の中で目立つ白い服の女性が誰か気になる人もいるだろう。
逆に特に何も感じない人もいるかもしれない。
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さて、ここまでいくつかのポイントを挙げてきたわけだが、残念ながらその一つ一つを解説する字数の余裕はなかったりする。
風呂敷を広げたまま畳まないのはずるい気もするが、それこそ《フォリー=ベルジェールのバー》に関する解説は少し調べればいくらでも情報が出てくる。この文章を最後まで読んでから検索してみてほしい。
もっと言えば、実際に美術館に足を運んでみるのが一番オススメだ。
上野駅の公園口を出て徒歩5分ほど。晴れていればそれだけでその日がいい一日だったと思える。そんな美術館までの道すがら。はやる気持ちを抑えてチケットを買う。
ようやく展示室に足を踏み入れるとすぐ目の前に名画と呼ばれる作品がずらりと並ぶ。ゴッホもモネもフェルメールもセザンヌも!そんな贅沢な空間を抜けていった先に待つ《フォリー=ベルジェールのバー》。マネの晩年の傑作は静かに待ってくれている。
何を感じるのも自由、感じないことすら自由だ。すべての作品を観終えたら、ちょっと贅沢にカフェに入って余韻に浸るのもいい。誰かと一緒なら自然と会話も弾むだろう。
普段から美術館に行く人もそうでない人も、日常の選択肢の中に「美術館」がある幸せを共有できたら嬉しい。そしてもし実際に《フォリー=ベルジェールのバー》を観に行ったら、その時は一緒にこの絵画について話せたらいいと思う。
それ以上の身近にある幸せってなかなかない。
【選択したテーマは「#20 幸福」】
【寄稿者紹介】
カナモリ ユウ
だいたいライブハウス。ロクステで小さめの企画を打ったり、UBCで大きめの企画を打ったり、BASEMENTBARのバーカンでお酒を作ったり。