3月16日 人の営み vs 人工知能の技
3月16日ですね。
先日、十勝に滞在している間に、
ノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎氏が亡くなられたとのニュースを聞きました。
私も氏の小説やエッセイは十冊以上は読みましたでしょうか。
晦渋な文体でありながら、その世界観の構築はすごいと思わされました。引き込まれたというか。
私が全作品を読もうとしている作家は何人もいるのですが、その一人が大江健三郎氏です。
氏の文体や世界観を果たして人工知能は再現できるのでしょうか。おそらくできるのでしょう。
また、氏の文体を模倣して、大江健三郎氏が書きそうな世界観をもった小説も遅かれ早かれ書かれるだろうと思います。
では、作家という職業は滅びるのでしょうか。もしくは不要になるのでしょうか。
私は否、だと思います。
これは作家に限りません。人間の芸術的な営みを代替するかもしれない人工知能の全てにおいておなじこと。
人工知能はすでに人間の知能を凌駕しています。それは間違いありません。
が、人間は人間の営みがあり、これは今後も形を変えつつ残っていくはずです。
人間は人間の中で人工知能とは別の世界で戦う。
ちょうど今、第72期の王将戦が藤井聡太王将と羽生善治九段の間で戦われているように。
これから、人工知能は次々と作品を作り出していくでしょう。その中には人類が生み出した全ての文学を越える素晴らしい作品も出てくるはずです。
が、それでも人類が生み出した文学が不要になるかというとそんなことはありません。それぞれの人が頭の中で、または人工知能の力をかりて、何かの発信をしていくでしょう。
ただし、それで生計が立てられるかどうかは別の話。
これから、作家や芸術家などの知的労働者の置かれた環境はがらりとかわるはず。今までの芸術家のような形で生計を立てられる方も減るでしょう。
だからといって、人間が生み出す文学や芸術は滅びません。必ずや生き残っていくはずです。
ただ、人工知能との付き合い方も含め、今後の人の営みは変わっていくでしょう。
今、私たちが考えていくべきことは多いと思います。