国宝金印ともう一つの藩校「甘棠館」
「日本3大がっかり名所」といえば、札幌市時計台・高知市はりまや橋・長崎市オランダ坂。期待していたほどのことはなかった、という意味では、福岡市博物館所蔵の「金印」もそうかも知れません。国宝として教科書で見た印象とは異なり、ほとんどの人が「小さい…」と思うことでしょう。
江戸時代に市内の志賀島で発見され、 福岡藩主黒田家に代々伝わった後、1978年に福岡市に寄贈されました。印面の5 文字は「漢倭奴国王」と読むことができ、 弥生時代に福岡平野を統治した奴国の国王が、当時の中国皇帝から贈られたものと考えられています。
この金印を、最初に鑑定したのは、当時の黒田藩西学問所(藩校)「甘棠館」の館長だった亀井南冥。南冥は金印が『後漢書』東夷伝にある漢印そのものであることを説き、その重要性を訴え、結果、永く保存されることになりました。
当時、黒田藩には東学問所(修猷館)と西学問所(甘棠館)があったのですが、寛政異学の禁の影響と、派閥抗争で南冥は失脚。その後、「甘棠館」が焼失したことから廃止され、通っていた藩士の子弟は、「修猷館」に吸収されてしまいます。
今は当時「甘棠館」があった中央区唐人町に「西学問所甘棠館跡碑」と、隣の地行に南冥の墓「淨満寺」が残るのみ。金印を観覧する機会があれば、ついでに立ち寄ってみてはどうでしょうか。なお、福岡市博物館は工事休館中のため、金印は福岡市美術館で展示中です。