トップアイドルたちのデビュー曲があまり売れなかった時代
先日のNHK『ラジオ深夜便』ではチェッカーズを特集していて、彼らがブレイクする経緯なども解説。デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」(1983年)はあまり売れなかったものの、次の「涙のリクエスト」が大ヒットし、相乗効果で「ギザギザ」も売れ、3枚目の「哀しくてジェラシー」と共に3曲がベストテン入り。トップスターに駆け上がっていきました。
チェッカーズと同じ福岡県久留米市出身の松田聖子さんも、デビュー曲「裸足の季節」(1980年)はスマッシュヒットに留まり、セカンドシングルの「青い珊瑚礁」が大ヒット。当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』でも1位を獲得し、トップアイドルの道へ。
「聖子派か明菜派か」と比較されることも多かった中森明菜さんも、正統派アイドルスタイルだったデビュー曲「スローモーション」(1982年)はスマッシュヒット。しかし、路線変更した「少女A」が大ヒットし、サードシングルの「セカンドラブ」で念願の『ザ・ベストテン』1位。
SMAPや浜崎あゆみさんもそうでしたし、1990年代頃まではデビュー曲で即1位を狙うという戦略は、一般的ではなかったのかも知れませんね。デビュー曲「硝子の少年」で、いきなりミリオンだったKinki Kidsは例外。ジャニー喜多川氏の出した条件に、山下達郎さんらが応えた結果でしょうが。
とはいえ、「スローモーション」とか、派手さはないですが、当時の明菜さんの初々しさと透明感、当初からの歌の上手さが感じられて好きですけどね。収録されたファーストアルバム『プロローグ〈序幕〉』もよく聴いていました。
余談:「KAT-TUN」の中丸雄一さんが、元日本テレビアナウンサーの笹崎里菜さんと結婚。笹崎さんは内定取り消し騒動を経て日テレに入社した経緯があるだけに、昨年退社したのはなんでかなと思っていましたが、結婚を見据えてだったんでしょうね。