【脳卒中/高次脳機能障害】復職して半年経ったけど、後遺症の定着はどんな感じ?
20代残り4日というタイミングに、脳卒中で倒れました。
退院して半年が経過し、現在の回復状況をまとめたnoteです。
現在脳卒中/脳出血の治療をされている・後遺症でリハビリ中の当事者の方や、周りでサポートをしている家族や友人の方の参考になれば幸いです。
“リハビリ病院でリハビリを受けて、高次脳機能障害がここまで回復した人もいるんだな”という一例として見てください!
すこぶる元気な現在
リハビリ病院から退院して、1年が経過した。
30歳になったばかりの私にとって、途方もなく長く感じられた1年だった。
「あっという間に毎日が過ぎるのは、成長してないってことだ」と言って退職していった、かつての上司の顔を思い出す。
喜怒哀楽がふんだんに詰められた生活だった。
“病気のおかげでわかったことカード”を、頭の中で数えてみる。
私の人生にとって、意味深い1年間だったことは間違えない。
ただもし、”病気にならない世界線”も自由に選べるのだとしたら、私はどちらを選ぶだろう。
強がっているだけかもしれない。
大変な思いをしたのだから、きっと学びはあったはずだと、思いたいだけかもしれない。
現在は、アルバイトとして復職し、以前と違う職種で仕事をしている。
最近会社で組織変更があり、私の所属するチームの体制が大きく変わった。
そこで、新たに加わったメンバーに自分の後遺症について説明する機会があった。
ある程度定着してきた自分の障害特性を、客観的に言語化する機会は結構貴重かもしれない。
"完全に元に戻っていない機能の棚卸と、生活の工夫"を文章にまとまてみる。
リハビリによる回復のステップ
倒れた直後
入院当初の状態について簡単に触れる。
倒れた当初はこちらに載っているほとんどすべての症状が強く出ていた。
失語
字の読み書きができない。言葉が出ない。
記憶障害
ワーキングメモリ・短期記憶・長期記憶のいずれも。
遂行機能障害
簡単なことも、順序立てて処理ができない。
例:手を洗うときに、石鹸をつける→流す の順番がわからなかった。
社会的行動障害
感情を抑えられない。
注意障害
失行
当たり前にできていた動作や使っていた道具の使い方がわからない。
例:ストローの使い方がわからない。スマホの使い方がわからない。
半側空間無視
脳疲労
高次脳機能障害の回復は、発症して半年間が勝負だそうだ。
半年を過ぎると、元の状態に戻るのが途端に難しくなる。
これ以上は良くならないね、という状態を“定着”という。
定着に抗う半年間だった。
復職直後のイメージ
訪問リハビリをお願いしながら、復職から2ヶ月間は時短で勤務をさせてもらった。
復帰にあたり、当時の上司には本当に多大な配慮をしてもらった。
このあたりの話も、別でまとめたい。
課題の言語化
こういったたくさんのサポートを受け、復職して8ヶ月が経過した。
現在少しだけ残っている生活/仕事での課題は、おそらく”定着”したものだ。
(リハビリ病院での毎日は記録はリハビリとして日記にしているので、いつか闘病記としてまとめたい。)
今後、長く共にに生きていくことになるであろう後遺症をまとめる。
“情報を理解する”には3種類ある
「耳で聞いた言葉」「概念」「文字/文章」が独立し、リンクしない。
21という数字を例に挙げる。
・耳で聞いた「にじゅういち」という音
・十進数で1が21個集まった数の集合状態である“21”
・数字/視覚情報の“21(二十一)”
これら3つが、同じ情報だと思えないのだ。
だから、数字の認識は人より少し時間がかかる。
電話で友達とスケジュールを決めているとする。
「21 日にしよう」と聞くと、”21”をテーブルになぞることで、[音][概念][数字]の3つの情報を連携させる。
脳で当たり前に処理していることが、実は結構高度だったんだなぁと気づいた。
脳ってすごいよ。
複数タスクの処理
高次脳機能障害のひとつに、「遂行機能障害」というものがある。
遂行機能障害とは、「目標を設定し、そのプロセスを計画、効果的に行動していく事が出来なくなる」高次脳機能障害のひとつだ。
入院当初は洗面台に「タオル」と「歯磨き粉」を持っていくと、これを?どっちから?どういう順番で?どうしたら終わるんだっけ?洗ったらどうするんだっけ??とパニックになっていた。
“時間通りに仕事を終わらせるには、どういう順番で手をつけるべきか”については、工夫である程度克服できるようになった。
問題は、毎日の化粧である。
化粧品って、似たような小さいコマコマしたものがポーチにみっちり入っている。
これを、手順通りに、時間内に、正しい筆圧で、塗る・・・
ポーチの中身をテーブルに全部出して、使う順番に並べるところから私の1日は始まっている。
方向・向きの認識
靴下を同じ向きに並べられない。
そんなに困ってないので無問題。
靴下なんて、履けりゃあ良いんです。
視野狭窄はそんなに困らない
視野の1/4が見えない。
こちらのサイトの図がわかりやすかったので転用する。
主治医から、「脳出血で見えなくなった視野が戻る確率は10%くらい」と説明を受けたときはショックだったが、実際はそんなに困っていない。
見えなくなった範囲が[見えなくなったゾーン]として赤く塗りつぶされているのであれば、「見えていたところ」と「見えなくなったところ」の差分がわかって落ち込むかもしれない。
だが、見えないものは無いのと一緒ある。
一方で、車の運転をする人にとっては大変だろうな、と思う。
結び
私は復職を目標に置いていたこと、言語障害が重かったことから、母と主治医が相談の上、リハビリ病院へ転院した。
“年齢”、“どこまで回復したいか”によって、さまざまな選択肢があるということは、退院してから知った。
半年前には、こんなふうにnoteを書けるようになるなんて、定着した障害を自分の言葉でまとめられるようになるなんて、思っていなかった。
31歳の誕生日を迎えられることは、全然当たり前じゃなかった。
ちいさな喜びを噛み締めながら、このnoteを締めくくりたい。