人の心が壊れるときは、忙しい時ではない
努力が人を裏切った時、人は心を壊す。
しばしば、うつ病は心の風邪だ、なんて発言を耳にすることがある。面白い表現だ。ついこの前まで健康的に見えていたはずの人が、ある日突然風邪をひいてしまうように、うつ病は誰にでも発生し得る病だ。ある日突然、唐突に、誰かがうつ病になってしまう。
うつ病なんて言葉を使うと、少々大袈裟に聞こえてしまうかもしれない。もっと些細なことでいい。メンタルブレイク。人は、ある日突然精神が壊れてしまう。積もり積もった疲労が、ストレスが、唐突に人間をぶっ壊してしまうのだ。
かくいう小生も、今からちょうど一年前、精神がぶっ壊れた。まだその時の話ができるほどには回復していない。今も療養中だからだ。
しかし、そんな小生だが、実は非常に努力が大好きな人間である。空いた時間があれば、何らかの作業をしていたいタイプなのだ。自分で何かを創造し、誰かにそれを評価してもらいたい。まぁ、そういう人間だから、配信者という肩書を選んだのだと思う。
あいている時間、それは何かを生み出すチャンスだと思っている。バイトを入れれば、その時間は金を生む。塾やレッスンを入れれば、その時間は成長を生む。小説を書いたり、イラストを手掛けたり、動画を作成したりすれば、その時間は作品を生む時間となる。
この世の中に溢れている、空き時間というものは、常に自分を次のステージへ進ませてくれる素敵な時間だと思う。もちろん、先ほど述べたような生産性のある時間として活用する必要はない。海に行けば、素敵な思い出を作る時間になるだろう。ナイトクラブに行けば、素敵な出会いを求める時間になるだろう。外食すれば、素敵な食事にありつく時間になるだろう。友達と通話をすれば、心癒される時間になるだろう。
一日の中に、一体何種類の素敵な時間を構築することができるだろうか。人は、その濃密さを幸せと呼ぶのかもしれない。だって、死ぬほど苦しい思いをしながら練習した成果を本番で発揮したとき、心にグッとくるものがある。必死で勉強した成果が点数となって帰ってきたとき、報われた気持ちになる。人は無数の空き時間を、必要な限り有効活用して幸せを勝ち取っているのだ。
もちろん、今すぐそれを幸せ時間に変換することだってできる。ティックトックを開けばいいのだ。それも幸せだ。あの動画見た? なんて友達との話題にも使えるわけだからなおさらだ。
人は、生きている限り常に努力する。常に活動する。嬉しいことだけでなく、つらいことや苦しいことも経験する。でも、それらすべてをひっくるめて、ああ生きててよかったなって言えるように頑張っているのだ。
そう、人は必ず、ゴールを目指している。特に頑張る人はみんなそうだ。いい大学に行きたい、甲子園に行きたい、有名になりたい、大金持ちになりたい。何らかの目標を掲げ、そこに向けてひた走る。
努力は苦しいものだ。それでも耐えきれるのは、努力を成し遂げた先にある栄光が眩しいからだ。そこにたどり着くという、明確な目標があるからだ。そこが何よりも素敵な場所だという認識があるからだ。
では、もし仮に今行っている努力が、何の意味もない物だったらどうだろうか。
どんなに頑張って勉強しても、お前の家系はどの大学もお断りだ。どんなに頑張っても、お前は嫌いだから試合には出さない。どんなに頑張っても、お前の顔が映っているデータはすべて抹消される。どんなに頑張っても、お前の預金通帳は全部没収される。
まぁ、そんなこと普通はありえないのだが、もし仮にそう感じてしまったらどうだろうか。
受験のために必死こいて勉強していても、甲子園目指して日がな一日練習していても、有名人になりたくて整形手術まで施したとしても、大金持ち目指して必死に働いたとしても、どの夢も叶わないのだと気づかされたらどう思うだろうか。
人はその瞬間、心が壊れる。
人は、努力している時間こそ充実しているのだ。夢に向かって駆け出して、息も絶え絶えに全力を注ぐ。その瞬間を青春とすら呼ぶのだ。大人になって、みんな口をそろえて言う。本気で走らなくなったのはいつからだろうって。それくらい、人類は努力家なのだ。努力して、栄光を掴みたいのだ。
でも、もし仮にその努力を踏みにじられたらどうだろうか。それほど苦しいものはない。
心が壊れる人は、その理不尽を味わっているのだ。
どんなに頑張ってもお前に友達はできないよ。どんなに頑張ってもお前は出世できないよ。どんなに頑張ってもお前の残業代は払われないよ。どんなに頑張ってもお前の顔と名前は炎上したままだよ。
誰かがそっと、理不尽を突き付ける。それを受け入れてしまった瞬間、人の心は壊れてしまうのだ。
人は、何のために頑張っているのか分からなくなった瞬間、心が崩壊する。今まで何のために頑張ってたんだろう、その言葉が脳内で反復横跳びし、精神を蝕んでいく。
夢はかなう、努力は報われる。そんなの夢物語かもしれない。だが、人は夢を見ている限り生きていられるのだ。頑張れるのだ。
お前がどんなに努力しようが、それは全て無駄なことだぞ。なんて言われた日には、心が崩壊してしまう。
何のために頑張っているのか、それを見失った瞬間、我々の精神は形を維持できなくなってしまうのだ。
逆に、我々人類は常に目的をもって生きているということでもある。幸せな家庭、一流大学卒業、裕福な暮らし、届かないかもしれない目標を掲げ、そこに至るまでの小さな目標を熟していく。それこそが、精神的な健康を維持するのに必要不可欠であると言えよう。
さて、ここから導き出されることとして、人に仕事を投げる側の声掛けがいかに重要であるかが分かる。まず一つ。明確な目標を定めてやることだ。何のためにこの仕事をしているのか理解できないままであれば、人を苦しめる拷問にしかならない。ゴールを示すというのがどれほど大切か、きっと分かっていただけるだろう。
そして、小さなゴールになってやることだ。例えば、今月の目標を達成したときの褒美だとか、ボーナスだとか。努力に見合った報酬は、その人の努力を肯定する。
お前の頑張りは無駄だったぞ、なんて言おうものなら、その人が努力してきた時間全てを無駄にしたのと変わらない。
人の精神を崩壊させるのは、いたって簡単なことなのかもしれないな。半年間、無駄な作業を永遠と繰り返させて、その都度その作業がいかに無駄なことであるかを伝えるだけでいい。たったそれだけで、人は壊れるのだ。
世に言うブラック企業とは、きっとこれをしている企業のことを指すのだと思う。なにせ、低賃金だろうが労働時間が長すぎようが、目的とやりがいを持って生きている人間は最後までやり通せるのだから。昭和と今を比べて悪態をつく大人たちは、この重要性を見落としているのだと思う。
小さな幸せを一つ見つけよう
ここ数日、毎日16時になればスプラトゥーンの配信をするよう心掛けている。
もちろん毎日できるわけではないのだが、極力決められた時間に配信することで、少しずつリスナーさんとの交流を深めていこうと思ったのだ。
さて本日、なんとありがたいことに初見リスナーが二人も来てくれたのだ。実はスプラトゥーン配信をしていて初見さんが来てくれたのは初めてのことで、本当に嬉しかった。語彙力が足りない自分を悔やんでしまう。
初見ですというコメントが一つ来るだけで、あぁ見つけてもらえたんだ、という嬉しさがこみあげてくる。
もし偶然目に留まって、気が向いて開いてみた配信があったら、ぜひ初見コメを残してほしいものだ。それだけで我々配信者という生き物は幸せになれるのだから。
小生は今日、初見さんが来てくれたという嬉しさを胸に筋トレへ向かうことができた。正直最近腹の肉がブヨブヨと膨らんだことが原因で運動そのものが億劫だったのだ。腹の肉が邪魔で、というより、筋肉を動かす活力が湧かなくなってしまったのだ。
でも、こうして小さな幸せが小生の背中を押してくれた。筋トレとジョギングをしっかりこなし、今日一日を終えることができた。
それもこれも、勇気を出してコメントを送ってくれた君のお陰だ。ありがとう。