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こんな字を書きたい(#196)

「美しい」について考えてみよう。

あなたもきっと同じように感じているかもしれない。「美しい」ものを探すのが難しくなってきている、と。表面的な美しさはあちこちに氾濫しているし、簡単に作れるし。だから「美しい」の価値は減る一方だ。いや、違う。「真の美しさ」の価値は上がる一方だ。骨董品のほとんどがまがいものであるように、「真の美しさ」を見つけ出すのは難しい。

それに、「美しさ」はそれを「美しい」と感じる人があって成り立つこと。そう考えると、今では人々の鑑賞力もあがり、感じ方も複雑になり、「その人にとって、何が美しいか」は、はもう本人さえもわからなくなってきている。

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「なんて美しい字なんだろう」と思った字を書く人が二人いた。ペン字のお手本みたいな字のことを言っているのではない。私にとって「ステキだ」と感じる字面(じづら)のことだ。

ひとりは小学校の時だ。小学校6年生の時に、友達の家でその字を見た。なるみの家に遊びに行った。「私、こういう字が書けたらいいなって思うの、見て」となるみが見せてくれたのだ。縦書きの便箋にペンでやはらかく書かれた文章。ひらがなの曲線が特に美しかった。これを書いた人はきっと繊細で優しくて、指が細くてキレイで、うるさくハシャがない人だ、と思った。

「誰が書いたの?」「りょう子よ」「え?あのりょう子?」「そう、あのりょう子」私はりょう子のことは遠くから見て知っていた。確かに、賢くて親切そうで。でも、本人はもっと地味な印象だ。彼女の書いた字には華やかさがあった。目を細めて、歯を見せずににっこりと「めいっぱい」微笑んでる感じ。もうちょっとで唇が開きそうだけど「私の気持ちはその文字の形から汲み取ってね」と言っている。なるみは続ける。「どんなに真似してもね、できないのよ、この通りには。上からトレースしてもダメ。何でだろうね、不思議」。私はその字をまじまじとじっくり見た。そうなのか、なるみでさえも書けない字なんだ。そのご、りょう子と話すこともなく、彼女の書いた字を見ることもなかった。一回だけ見たこの時の印象は何十年たった今でも強く残っている。しかしよく考えてみると、12歳でそういう字が書けて、12歳でこんな字が書きたいと憧れて、12歳でこの字は素晴らしいと鑑賞できる。子供といえど、あなどれんな。

もうひとりは高校の時。さえ子の字だ。さえ子とよく文通した。「文通(ぶんつう)」ってもう死語なのかな。紙に書いた手紙でやり取りする事だよ。さえ子とは同じ学校に通って、毎日のように顔を合わせていたけど、手紙に書くことでしか表現できないことがあると知っていた。お互いに手紙魔(てがみま)だったのだ。さえ子は好きな楽曲の歌詞を書いて手紙に添えたりした。私は彼女の書いた字を見るのが大好きだったので、しょうじき内容は何でも良かった。さえ子の字は一文字一文字の美しさというよりも、一枚全体の文字の集まりを眺めた時にはっきりとわかる美しさだった。文字と文字の間の隙間とか、行間の取り方とか、「空白部分」の取り方が絶妙だった。先ほどのりょう子の字が「正統派」だとすれば、さえ子の字は「個性派」だ。フォントにすると人気が出るかもしれない。私が高校3年生で米国留学したホームステイ先にさえ子から手紙が来た。さえ子の書いた字を見た家族が「その字すごくいいね」と絶賛した。「読めない字でも、字面(じづら)見ただけでステキだとわかるんだな」とその時初めて知った。

私は何度、さえ子の字を真似ようと思ったことか。緊張している間は、それなりに雰囲気は出せる。でも気を抜けば、いつもの自分の字に戻る。私は自分の字が好きか?嫌いなわけじゃないけど、特に好きでもない。少なくともあとで読み返して読める字だ。凡庸な字。その点で言えば、読めない字を書く才を持ってる人たちを私は何人も知っている。それは、とっても優秀な人に多い。なぜかな。

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ドストエフスキーの長編小説「白痴」を何度読み返したかわからない。主人公のムイシュキン公爵はてんかん持ちで、みんなから白痴(はくち・知能が低い)だと言われている。しかし、彼は真っ直ぐに物事を見る才能と、素晴らしい文字を書く才能を持っている。「誰が書いたどの字がどういうふうに素晴らしいか」を彼が説明して聞かせる部分は何度読んでもワクワクする。そして、初めて会った3人姉妹とその母親の顔から受けた印象を説明して本人に聞かせる部分も、何度読んでもドキドキわくわくする。人の顔を見て、その人の性格を分析する能力と文字を見てその美しさを分析する能力には共通したものがあるのかもしれない。興味深い。


あなたは「こんな字が書きたい」っていう文字に出会ったことある?真似はできても自分のものにするのは「ちょーむずい」よね。でも、そういう字と出会えただけでも幸せだ。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

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