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病院へ行った日(#166)
同じ道なのに、違う時間に車で通ると、見慣れた世界が見たことない景色になる。
毎月一度、病院へ薬をとりに行く。たいてい午後にいく。だが、その同じ経路を朝のラッシュ時に運転して行くことになった。診察の時間を指定されていたためだ。
私は幸運にも、ふだんの通勤に苦しい思いをしなくていい。満員電車やバスに乗ることもない。自家用車で10分の運転だけだ。頑張れば歩いて行ける。
だから、この慌ただしい時間帯の近所の通りがこんなに違った表情を見せるのにびっくりした。「こんな感じなんだ」とマジマジと眺めながら通ることになった。混雑していて車がしょっちゅう止まるので、観察するには事欠かない。
歩いて子供を学校へ連れて行くのはなぜか父親が多い。7対3の割合で父親だ。そして父親は必ずスマホを見て歩いている。あるいはスマホに向かって話しかけながら歩いている。その後ろからついて歩いてくる男の子は何かを両手で抱えている。うちのオカメインコの鳥かごに設置されているステンレスの丸い容器に似てる。どうやらナッツ類が入っていて、歩きながら朝食がわりに食べているようだった。ある父親は二人の女の子を連れて、犬の散歩も兼ねていて、やっぱりスマホを見ている。朝からどんだけマルチタスクをしているのだろう。「歩きスマホはいけません」という人種はこの時間帯に外を歩いていないようだ。まだベッドで寝ているのかもしれない。
朝の運転手もゆとりがないのがわかる。横から急にカットインして、「ありがとう」の挨拶(手をあげる)もなく走る。「無礼者」だ。私にとってこの手の無礼者は大きなチャレンジになる。なぜなら、運転中の私は必要以上に「正義」を掲げがちなのだ。自分でもなんでそうなるのかわからない。無礼者が運転する車を見ながら「ダメダメ、今、入ってくるのは無理でしょう。ダメでしょう。事故につながるでしょう」と説教しながらハンドルをきる。これは本当に改めたい。乱暴な運転手に腹も立てたくない。時間とエネルギーの無駄だ。わかっているのにできない。
昔は、もっとひどくて「その先の『ねずみ取り』でポリスに捕まればいい」とか「車の故障で止まればいい」などと、呪いをかける言葉を吐いた。
さいきんは自分で作った「縁切り」動作がある。
例えば、急に私の前に横からカットインした車があるとする。ありがとう・ごめんねの挨拶もない。私はイラっとする。説教して呪いをかけそうになる。その時、目の前に手をあげて指でハサミを作り「チョキン」とする。「はい、あなたとの縁は切れました。あなたはあちらへ、私はこちらへ。2度と会うことはないでしょう」という。頭から消し去る。嘘みたいだが、この儀式は効果がある。
信号で停まった。横を見ると、同じようにカップルが歩道の赤信号で止まって立っている。ここの赤信号はちょっと長めだ。この男女、若くはないな。人種はインド系、30代後半かな・・・。それでも、二人が恋の真っ只中なのが雰囲気でわかる。二人の周りだけ、朝のラッシュ時に似合わない、桃色の空気とゆったりとした時間が流れている。「あ、この二人キスするな」と思った3秒後に本当にキスした。3秒かけてキスした。ラッシュ時の通りで、こんなに、いろんな人たちのさまざまなストーリーが垣間みれるとは思わなかった。
診察後、病院を出てすぐの木漏れ日のベンチで、持参のサンドイッチとテイクアウトしたカプチーノでランチした。ちょっと大学のキャンパスみたいな雰囲気がある。他にもランチしている病院関係者や通院者がいる。
私が食べている前をブッシュターキーが通った。この時間帯には七面鳥も散歩するのか。サンドイッチのパンを少しちぎって手から食べてもらおうと伸ばした。でも、さすがに怖くて手から直接は食べないようだ。放ったら、すかさず芝生の上のパンをついばんで飲み込んだ。
なんだか、とっても遠いところまで旅してきた気分だなぁ。毎月通ってる同じルートで同じ場所なのに。今日は旅行者のような気持ちだった。膝の上のパン屑を払って、立ち上がり、車に戻る。帰り道ではあの魔法は解けて、いつもの地元の通りに戻っていた。
あなたの普段の景色が違う風景に感じられたのはどういう時だったんだろう。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。
えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック
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