見出し画像

「ある」より「ない」選ぶ(#237)

今日もだるく暑い。セミがうるさい。

ネックファン様さまだ。顔にあたる風があるかないかで快適度は全然違う。月曜日から1学期が始まる。6週間の夏休みも、「あ」で終わった。わかってはいたが、やっぱりそうやって、流しそうめんのように時はスルスルと流れ、炎天下のかき氷のように溶けていくのだ。

夏休み何したかな〜って考えるよりも、何をせずに済んだかと考えた方が静かな幸せを感じられる。「病気にかからなかった」「怪我しなかった」「事故に遭わなかった」「モノを無くさなかった」「モノが壊れなかった」「私の周りの人たちも何事もなかった」

うちの母が父を結婚相手に選んだ時も「ある」ではなく「ない」で選んだと何度も聞かされた。3つの「ない」

1. 酒グセが悪くない
2. 女グセが悪くない
3. 暴力振らない

こういう条件で夫を選ぶって、なんかすごくない?戦後の沖縄ではそういうロクでもない男であふれかえっていたと思われる。

母は何度か話してくれた。銀行員として勤めはじめた頃、職場に好きな男性がいたのだと。ハンサムで、頭良くて、人当たりも良くて、お付き合いできそうなところまで行ったと。周りのウワサで母は知ることになる。その人は「女グセ」が悪かったと。それで、キッパリ諦めた。

そして、遠い親戚に当たる父が家にたずねてくるようになった、親戚にあいさつして回る礼儀のある人だったのだ。父の方が先に母のことを気に入って、よく訪ねてくるようになったらしい。その頃すでに戦争未亡人になっていた母の母、つまり祖母は、礼儀正しい父に好感を持ったようだ。父は与那国という最西端の小さな島の出自で、中卒で、安木屋という今も現存する会社(書籍、文具、事務機器など販売)に勤めていた。

母はどうしても、父に高校を出て欲しかった。それで、婚約中に父の勉強を見てあげて、商業高校の夜間部に入学させ、卒業させたのだ。それから結婚した。なんか、すごくない?

これが、よその家の話だとしたら、ものすごく美談でいいはなし〜ってなる。しかし、自分の家族の話だと、そういうわけにもいかない。

母は、面倒見よくて、強くて、なんでもこなせた人だったので、それが裏目に出た。母は退職後によくこう言っていた「もう少し、お父ちゃん(夫)に甘えて、頼ればよかったな〜って思うよ」と。

私たちが物心ついた時には、父は口下手で子供と意思疎通をうまく取れず、弟も私も父親は怖くて遠い存在だと感じていた。母がひとりで子育てと家事と銀行の仕事、全てをこなしていた。

いっぽう父は、先にも言ったように、3つの「ない」を持つ真面目な人だったので、職場と友人と外で飲むことと家で何もしないことを順番にしているように見えた。新聞は隅々まで読んでいたが、読書をしている姿を見たことない。趣味もない。父は家のことにはいっさい関与しなかった。

いとこの家に行った時に、いとこがお父さんの膝の上に座っているのを見てひどくびっくりしたことを覚えている。「よそではお父さんの膝の上に乗ったりするんだ」と。

父はもともとが気の優しい涙もろい人だったのだから、母が「良い妻・母」を頑張らずに、父に頼って、私と弟の面倒をみる手伝いをさせていたら、きっと私たちもお父ちゃんの膝の上で過ごすことができたのかもしれないな〜と今は思う。

なんでこんなことを思い出して書いたのかな〜。きっと、子供の頃の沖縄の夏の雰囲気に今日の天候が似ているからかもしれないな〜。扇風機が回ってる音。吹き抜ける風。時間がゆっくり流れる感じ。

あなたはお父さんやお母さんの恋バナ聞いたことある?キモいって思っちゃいかんぜよ。そういうのが聞けるのは、自分がよっぽど子供の時か、ずーっと大人になって、大人同士の良い距離感が保てた時だよね。親だって普通のひとりの人間だと理解できた時、そういう話ができるんだよな〜。あなたの想像力が私の武器。今日も読んでくれてありがとう。

えんぴつ画・MUJI B5 ノートブック

いいなと思ったら応援しよう!