藤ばあちゃんと駐車ゲーム(#93)
そのお宅の庭には今、藤の花が・熟した葡萄のフサのようにタワワに咲き・その紫の粒を揺らして世界に「今は春だ」と声をあげている。藤の花のおうちの家主は高齢の女性で、彼女と私は2年前からちょっとしたゲームを続けている。
日本では路上駐車は基本ダメだ。でもオーストラリアでは路上駐車は当たり前。2年前にこの通りに引っ越してきた時は、周りの路上駐車の状況が把握できていなかったので、駐車違反のチケットをもらって痛い目にあった。でも、今では何曜日の何時ごろはどこに駐車スペースがあるかというのがわかってきた。
一般車道に「障害者用駐車区画」がある。私は足に障害があるので、そこに停められる許可証を持っている。藤の花のお家の前に「障害者用駐車区画」が一台分ある。たぶん、藤の花のおばあちゃんが、自分の車が駐車できるように、地方議会に申し込んで設置してもらったと思われる。でも、公共の道路に設置されているので、藤ばあちゃん専用ではない。私の権利と藤ばあちゃんの権利は同等だ。なので、私と藤ばあちゃんはこの一台のスポットを巡って取り合いゲームをすることになった。
藤ばあちゃんの家はうちからほんの数軒先だ。彼女はメルセデス・ベンツの4人がけオープンカーに乗っている。車のソフトトップがあいているのをみたことがない。後ろの席には、障害者用の簡易椅子が積まれている。どういう成り行きで藤ばあちゃんがオープンカーに乗ることになったのか知らないが、曲がった腰で乗り降りしながら、ちゃんと乗りこなしているのだから大したもんだ。
私が引っ越してくるまでは、家のまえの「障害者用駐車区画」を利用する人は藤ばあちゃんしかいなかったと思われる。2年前に私が引っ越してきて・競争が始まったのだ。藤ばあちゃんにとってはバッド・ニュースだ。
最初の頃は、藤ばあちゃんの存在に気づかず、私は当たり前のようにこの「障害・・・区画」に駐車していた。そしたらある日、駐車違反のチケットをもらったのだ。私はちゃんとフロントガラスに許可証を提示して停めていた。にもかかわらずチケットをもらう羽目になったのだ。バカな取締りスタッフは許可証がついてるフロントガラスの証拠写真も撮っているのだ。それでもチケットを切ったということは嫌がらせ以外の何ものでもない。私は面倒くさい手続きをとって潔白を証明しなければならなかった。そのとき私は藤ばあちゃんを疑った。もしかしたら、私に対する誤解と苛立ちからチケットを切るよう彼女が手配したのではないかと思った。もちろん証拠は何もない。だがどう考えてもチケットの切り方が馬鹿げてる。
こんな嫌がらせで引き下がるもんかと私はより強気になった。もし、もう一度同じようなことが起こったら、私はチケット切ったスタッフを探し出して、どういうことなのか直接話しに行くつもりでいた。しかし、2度と同じことは起こらなかった。
私も鬼ではないので、他に駐車できる場所があればそこに停める。どうしようもない時は、私の権限として「障害・・・区画」に停める。なんで、罪悪感を感じなきゃいけないのかと自分に腹を立てた。そうこうしているうちに、藤ばあちゃんのメルセデスを見ない日が続いた。嫌な予感がした。え?死んじゃったのかな?家は知ってても特に知り合いでもないので、いちいち確かめに行くのもなんだし。とりあえず、深く考えないようにして私は「障害・・・区画」に車を停め続けた。何週間かした後、藤ばあちゃんのメルセデスが停めてあった。「あ、生きてた・よかった」と私は嬉しくなった。その後たまたま藤ばあちゃんが車から出るところを通りかかったので、「しばらく見なかったからどうしたのかと思ってたんですよ」と声をかけてみた。「ちょっと入院してたのよ」「もう大丈夫ですか」「おかげさまでなんとか」そうやって少し会話を交わすようになった。
藤ばあちゃんと私の駐車を巡るバトルゲームは現在進行形だ。いつまでも元気でいてくれ・ゲームの相手してくれ・なぁ・藤ばあちゃん。
あなたは誰と印象深いどんなゲームをしたことがあるのかな?
あなたの想像力がわたしの武器。今日も読んでくれてありがとう。