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雪の一枚 13 【紅白記事合戦2024】

※こちらの記事は、下の企画に参戦しております!


冬の昔話をしようではないか

それは、私がまだ小学生だった頃。父の仕事の都合で転勤族だった私は、石川県に住んでいた時期があった。
石川県といえば、兼六園、カニ、ブリ、甘エビ、和菓子、温泉、日本海、白山はくさん、エトセトラエトセトラ。楽しみがたくさんある。

しかし、それは突然やってきた。
「お前、冬休みにスキー教室に行ってこい」
父が言った。どうした?今「スキー」という単語が聞こえてきたような・・・ええ、そりゃあ、いま住んでいる石川県は雪国だけど、え?まさか?
「おう、せっかく雪国に来たんやけん、スキーやろ」
ああ、やっぱり。そう来ると思ってました。

幼い頃から、父は娘にいろんな体験をさせたいという一念で、いろんな習い事に私や妹を放り込んだ。もちろん、スキーも例外ではなかった。
体験することは嫌いではなかったが、運動が苦手な私はスポーツ系の体験教室によく放り込まれて、当時は父をよく恨んだものだった。

好きじゃなかったスキー教室

最初は、確か新潟県妙高高原のスキー場へ3泊4日の日程で、放り込まれた。これがスキーと私の初顔合わせになる。
運動神経が鈍い私は、同じツアーの他の子たちより、やや遅れを取りながらも最終的には、どうにかこうにかハの字で滑れるようになって帰ってきた。ふうぅぅぅ。

帰ってきた後は、父が休みのたびにスキー場に連れて行ってくれた。
早朝5時起きで、顔を洗って着替えて、車にスキー道具一式を積んで、そして母が作ってくれたおむすびを持って、出発。
最初の頃は一人で自信をもって滑れるようになるまで、何度も行った先のスキー場の半日スキー教室初心者コースに放り込まれていた。教室が満員の時は、父が自ら講師となってスキーを教えてくれた。

と書くと、なんだか微笑ましい親子の光景やねと思われるかもしれないが、違うのだ。父は自衛官。スキーはレジャーのスキーではなく、生き延びるためのスキー。リフトがスイスイと斜面を登っている下で、なだらかなゲレンデを、父と一緒に自分の足で登っていく。そしてまず父が見本で滑ったあと、それに続くのであるが、これがまたなんとも不安定。父に何度も指導を受けながら、どうにかこうにかターンはできるようになった。

午後はフリータイム

昼ご飯は、ふもとのロッジで、大きなストーブに手袋や帽子を干して、だいたいラーメンを食べる。冷えた身体に、熱い醤油ラーメンはよく染みる。このラーメンが至福のひとときだった。

昼ご飯を食べ終わると、またゲレンデに出る。
午後からはたいていフリータイムになる。ロッジに戻ってくる時間を決めたら、スキー上級者の父は、リフトで山頂付近まで行ってしまう。スキー初級者の私は父から朝渡されたリフト1日券を腕に付けて、だいたい初中級者コースをうろうろする。

私がひととおり滑れるようになった頃、父が山頂に誘ってくれた。山頂付近のコースはコブが多くて、とても私レベルのスキーヤーが滑れるコースではなかった。しかし今の自分の持てる技術を駆使してなんとか滑りきると、途中から林道コースというのが現れる。

大好きな林道コース

林道コースは幅広い道に雪が積もっており、そこを整備して作られたコースだ。ただ道なりに滑っていけばいい。途中、超高速で滑り降りてくるスキーヤーにさえ気をつけていれば、自分のペースで滑っていける、なんともラクなコースだ。

道なりに滑っていく。最高!午前中のスキー教室の堅苦しさ、父のスパルタ教室のしんどさ、なんなら今シーズン最初に放り込まれたスキー教室の恨みまで、全部の嫌なことが、林道コースに吹き飛んでいく。これぞ至福のスキー時間、最高!やっほーい!

そうそう。
林道といえば、スキー場に向かう途中で、父の運転する車がカーブで曲がりきれなくて、すべって雪の壁に頭からどーんとぶつかったこともあったな。あの時はほんとに「目の前が真っ白」で、呑気に感動してたら、父に何か言われたなぁ。
もちろん父は車を救出するのに必死で、結局スキー場に向かっていた他の車に助けてもらって無事に雪の壁から脱出することができた。

撮った!

そんな父のおかげで、スキーを人並みに滑れるようになった私は、社会人になってから、職場の同僚たちと十人ぐらいで、博多駅発の夜行バスに乗り、鳥取県の大山だいせんスキー場へ行くのがいつしか恒例となっていた。

九州では、スキー経験者はごくわずか。私のように昔雪国で鍛えられたか、修学旅行がスキーだったとか、保育園だか幼稚園だか、それぐらいの頃に一度滑ったことがあるよ、とかそれぐらい。なので、みんなでスキーに行こうと言っても、だいたい日程の3分の2近くは一緒に行っていた初心者組のコーチで時間が過ぎていった。

でも最終日は半日時間をもらって、山頂へと続くリフトで山を登り、リフトを降りたところで、チョコレートを一口食べて、ひと息ついて、昔を思い出しながら、コブのたくさんあるコースを滑り降りていくのであった。

もう一度、白いゲレンデを滑りたいなあ・・・


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ピリカさん!そして、すまスパ株式?会社の皆さま!
長くなってしまいましたが、
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

こーたさん!コッシーさん!
椎名ピザさん!納豆ご飯さん!
ファイトー!!!


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