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夜食の一枚 1

時は、ずいぶんと、さかのぼる。

それはまだ私が小学生の頃。
熊本に住んでいたおじいちゃんが亡くなった。
私は、当時、北陸地方に住んでいた。

最後のおじいちゃんに会うため、知らせを受けてから、いくつもいくつも列車を乗り継いだ。なぜ列車だったのかは、覚えていないが、熊本に着いたのは、もう夜もとっぷり暮れた頃だった。

私たち一家が到着した時は、おじいちゃんの姿はもうなかった。
それでも大人たちは、おじいちゃんの思い出を語り合う。私たち子どもは、お参りもそこそこに、久しぶりに会えた!と、同じ世代の親戚と別の部屋に集まって、わいわい遊んでいた。

それから数時間、経っただろうか。やがて三々五々に解散となり、私は、姿がなくなったおじいちゃんと、おじいちゃんちへ行く。今日はそこが私たちの寝床となる。
しかし、大人たちはまだ語り合っている。私もなんだか目が冴えて眠れない。語り合う大人たちの横で、本を読んでいたり、ひとり遊んでいたりしていた。

おい、ラーメン食べに行くか?

父が、私に声をかけた。そう、亡くなったのは母方のおじいちゃんであり、母方の親戚が集まるなか、寡黙な父はじっと話を聞いていたが、だんだん居心地が悪くなってきたのだろう。

ラーメンを言い訳に、父と私はおじいちゃんちを出て、熊本市内のアーケード街へと繰り出した。当時、おじいちゃんちは、アーケード街のすぐそばにあった。だから、3分も歩けば、アーケード街にたどりつく。

ネオンまぶしいアーケード街。客寄せのお兄さんの声が響き渡る。どこかの居酒屋で盛り上がった大人たちや、急いで家に帰る大人たちが行き交っている。おじいちゃんが亡くなるという悲しい出来事があっても、世間はいつもの景色だ。

待ってよ。

アーケード街を数分歩き、メインストリートから裏通りへと入っていく。父は、私がいるので、ゆっくり歩いているつもりだったのだろうが、それでも私にとっては早足で、ついていくのに必死だった。

夜の人込みを抜けて、たどり着いたラーメン屋。
『桂花ラーメン(けいかラーメン)本店』
熊本ラーメンを語るうえで外せないラーメン屋である。
熊本ラーメンも、博多ラーメンと同じく豚骨なのだが、スープには黒マー油や焦がしニンニクチップ、ゆで卵などが入っており、麺はやや中太のストレート麺。

「あつっ!」
「おいおい、ヤケドするなよ」
父はニコニコして、そう言いながら、麺をすする。スープがかなり熱々で出てくるので、猫舌でなくとも、うっかりしてるとヤケドしそうになる。というのをすっかり忘れていた・・・お父さん、食べる前に、はよ言ってよ。
時間はもう日付を越えようかとしていた。

撮った。

今でも熊本へ行くと、食べたくなる一杯だ。写真は、桂花ラーメンを食べたいと思って、数年前に本店へ食べに行った時の一杯だ。

このラーメンを食べると、必ず父とのこのエピソードを思い出す。
当時、夜食を食べることなど、めったになかった私にとっては新鮮な経験だったし、多くを語らない父と肩を並べて食べたラーメンは、ずっと私の舌に、心に、刻まれている。

今度また食べに行こう。夜食で食べる元気は、もうないかもしれないが、今度食べに行く時は、父の思い出と一緒に、父が最期まで気にかけていた孫たちと一緒に、食べたい。

これが、私の忘れられない景色と味である。








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拝啓あんこぼーろさんの「あの日の景色。あの日の味。」に参戦します!

ぼーろ先生、よろしくお願いしますm(_ _)m





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