ケアの最適解
先日、両親の介護保険の更新のための通院付き添いで地元に行きました。
母を実家で拾い、ロングショートに寄り父を迎えに行き病院へ。母の診察時、父をひとり待合室に置いて行けないので三人で診察。
何だかんだ必死なので気にも留めていませんが、周りからどう見えているものやら…
ケアマネさんと相談したところ、要介護5の判定が出てもおかしくないだろうとのことでした。
要介護5は区分でいえばMax。
介護度が上がるにつれて、残された時間も少なくなって来るのだなと思うと、何とも複雑な気持ちです。
普段の父の面会の際、話しかけはしますが会話は成立していません。意思の疎通もできません。
介護士の皆さんには、こんな状態でケアをしていただいていることに頭が上がりません。
表情で快・不快か、時折聞こえる単語を繰り返し「会話をしているっぽい素振り」をする程度しかできない状態です。
ただ、不意に繰り返し出てくる
「仕方がないんだ」
という言葉に、とても心が痛みます。
父がどのような意図でこの言葉を言っているのかはもうわかりません。
受け取り側の私の解釈でしか、その言葉の意味はわからないのです。
ただ、今の私には
「本当はこんなところにはいたくない、家に帰りたいけど、自分の今の状態ではここに居るしかしかたがないんだ」
と聞こえてなりません。
通院後、ロングショートに送り届けた時車から降りることを強く拒んだこと。再び車に乗り込もうと必死に抵抗したこと。
後になってじわりと重い罪悪感が滲むように湧き上がり、帰り際
「ごめんね、また来るね」
としか言えませんでした。
既に在宅での介護は限界です。
あれだけ世話好きな母も、父が家に帰ると動悸を訴え、明らかに離れることに抵抗がなくなりました。
何度も家やデイサービスから居なくなり、警察のお世話になることもしばしば。
父の最期の大切な時間を、住み慣れた家で過ごさせて上げることがベストであることは十二分に理解できます。
しかし、残された家族もまた生きていかなくてはならない。
人が使えるキャパは100%しかありません。
父にそのすべてを使えば、母や私の生活は立ち行かなくなるでしょう。
どこかで罪悪感をかかえながら、それでも「やりきった」と納得できる「ケアの最適解」を探すことが、介護生活の中で大切なことなのだと思います。