「スイカを動かせるスイカ割り」なら俺でも割れるはず
皆さんはスイカ割りに成功したことはあるだろうか?
アレさぁ、難しすぎるよね。無理でしょ絶対。見えないのに当てられるわけないじゃん。
僕が初めてスイカ割りをやったのは幼稚園の行事だったが、当然のごとく失敗した。スイカのある場所から遠く離れたぬかるみのなかに突っ込んでしまったときの足の感触は昨日のことのように思い出せる。リベンジしたかったのだが、先生に「ひとり一回だから」と言われ却下された。
2度目のスイカ割りはたしか中学生のときだった気がする。夏休みの合宿かなにかで、そのときもスイカに近寄ることさえ叶わなかった。
その2回の失敗は、強い劣等感となって僕の心の底に沈殿し続けた。こんな生き恥を晒すぐらいなら死んだ方がマシかもしれないとさえ思った。大袈裟だと言われるかもしれないが、子供の頃の醜態というのはかなり深く精神に刻み込まれるものなのだ。そんな幼少期をすごしていたので、僕は『20世紀少年』も“ともだち”に感情移入して読んでいた。
あーーーあ、
スイカのほうからこっちに来てくれりゃいいのになぁーーーー。
・・・・・・
その願い、叶えてやろうじゃないのよ。
ちょうどいいタイミングで弟が実家から遊びにくることになったので協力を依頼したのだった。
武器を調達しよう
結局、弟は打撃武器を持ってきてくれなかったので僕の部屋にあるものから見繕うことになった。
僕「どうしよう、メタルラックの脚にしようかと思ってるんだけど」
弟「いや、お前んちゴムハンマーあったじゃん。それ持ってけば?」
カバンからおもくそ太い棒が飛び出しているので、弟からは「お前それ気をつけないと通報されるぞ」と言われてしまった。凶器準備集合罪。
おかげで、王将で腹ごしらえしてる間も気が気じゃなかった。
スイカを買おう
武器だけあってもしゃあない。スイカ割りはスイカがなくちゃ。とはいえ、
近所のスーパーを何軒か巡ってみたのだが、やっぱスイカって高いんだよな。2000円ぐらいするし、あとデカい。ひとりかふたりでこんなに食べないよ。
なんつってたら、3件目に寄った店でコダマスイカを発見。値段も1000円以下だし、ちょうどいいじゃん! と即決で購入した。的が小さいとそのぶん狙いがつけづらくなるのではないかという気もしたが、スイカを動かせるぶんこちらが有利なのでちょうどいいハンデではないだろうか。
おもえば僕がいままで経験してきたスイカ割りは全て他の誰かが主催していたので、自分で準備するのは初めてだ。なにもかもが手探りのまま支度だけが進んでいく。
場所を見つけよう、からの
ブツが揃ったらあとはステージだ。さいわいなことにウチの近所には広場がたくさんあるので、駅の近くの公園で計画を実行に移す運びとなった。
動き出すのが遅かったのでだいぶ日が落ちてしまったが、涼しくなったからいいかもしれない。どうせ目ェつぶるんだから暗くても関係ないし。
けっこう家族連れとか来てたので、邪魔にならないよう端っこのほうでやることにする。
僕「あのさ、最初にぐるぐる回るやつあんじゃん。あれさ、ナシにしよう。難しくなりすぎるから」
そんなバランス調整の甲斐もあって、ビクビクしつつも案外まっすぐ進むことができた。とは言っても、やっぱり目を瞑って歩くのってかなーりコワい。みんなもやってみるといいよ、命の危機を感じられるから。ナビゲート役の人は「大丈夫、そのまま行って」などと平気で言うが、もし嘘を吐かれてもこっちにはわからないのだ。あまりにもリスキーすぎる。
おそるおそる10歩動いたところで攻守交代だ。ここからが今回のレギュレーションの目玉要素、スイカの移動である。
僕は目を開いてその場で待機し、弟が目をつぶって僕の指示を聞きながらスイカを動かすのだ。
とりあえず両者ともに10歩ずつ移動したところで、お互いの距離はこんなかんじ。
ち、近い。
難しすぎるから簡単にしよう、というのがそもそもの趣旨だったわけだが、かといってこうも簡単だとそれはそれで拍子抜けしてしまう。
違う、俺が求めていたのはこれじゃない。
「つまらないじゃないですか・・・・・・誰でもやれるようなことをチマチマやっていても。小さなヤマよりは大きなヤマ・・・・・・容易いヤマよりは困難なヤマ・・・・・・」
つい最近観たNetflixのドラマ『地面師たち』でトヨエツがそんなことを言っていた。
たしかにここでハンマーを振り下ろしてスイカを叩き壊すのは容易いかもしれない。だが本当にそれでいいのか? 幼稚園児の頃から16年にわたって熟成されてきた僕のスイカ割りへの欲求を、こんな中途半端に畳んでしまっていいのか?
フランスには「復讐は冷ましてから食うのがいちばん美味い」という諺もあるぐらいだ。
スイカ割りだってもっともっともっと焦らして焦らして焦らして焦らして焦らして焦らして、それから粉々にして食べたほうが楽しいに決まってるだろう。人生を豊かにするのは緊張と緩和だ。
『地面師たち』、最後まで見るのにけっこう体力を使うけどかなり見応えがある。かつて『おでんくん』のファンで餅巾着に憧れていた身としては、リリー・フランキーの迫真の演技は感慨深いものがあった。オススメです。人はいっぱい死ぬけど猫は助かります(ネタバレ)。
河岸を変えよう
結局、「これだとすぐ終わっちゃうから場所を変えてもっかいやろう」と弟に提案した。
公園の広さを目一杯つかって、対角線上のフィールドでスイカを狙う。
今回はちゃんとその場で10回まわる。
・・・・・・
き、気持ち悪い!!!
完っっ全に酔ってしまった。ヤバい、吐くかも。
この状態で今から歩くの? ちょっと横になって休んでもいい?
なんて弱音を吐いてる場合じゃない。
さっきのコースと違って今回はデカめの障害物(すべり台)があるので緊張感が桁違いだ。もし正面からぶつかったら鼻とか骨折しちゃうかもしれない。
僕「ねぇ大丈夫? コレほんとに大丈夫?」
弟「大丈夫、まっすぐ」
僕「ほんとに大丈夫??」
弟「大丈夫、まっすぐ」
僕「ほんとに大丈夫???」
スイカ割りと真剣に向き合うと人間不信になるということがわかった。
暗闇の中を彷徨っているあいだは次の一歩ですべり台に激突するのではないかと気が気でなかったが、いざ目を開けてみると全然安全な距離だったのでけっこう恥ずかしかった。VRにめちゃくちゃ没入してる人も側から見たらこんなカンジなのかもしれないな。
そしてまたスイカを動かす。よろよろと歩く弟を大声でコントロールし、まぁまぁ良さげなところまで持って行かせることに成功した。
(縦画面で撮影した1分未満の動画は強制的にショート動画として投稿されてしまうらしく、note上でサムネイルが表示されないっぽい。不便だ)
気分はまるで『ジャイアントロボ』の大作少年だ。指示するほうとされるほうの両方を味わえてお得な気分になれるのもこのゲームの利点と言っていいだろう。あと、途中で目を開けて休憩しつつ目的地までの脳内ナビを補正できるので、事前の目論み通り理不尽な難しさを感じなくなっている。普通のスイカ割りでは希薄な「自分で考えて攻略ルートを組み立ててる感」が非常に心地よい。
なおも一歩ずつ着実に獲物を追い詰めてゆく。ちなみに、ホントに酔うのでグルグル回るのは5回にした。
↑
歩くところを動画でも。
そしてついに、
ここからは最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方でいかせていただきます。
(またしても『地面師たち』の印象的なセリフを引用させていただいた。あのシーンの北村一輝スイカみたいだったよね)
ぐるぐる回って・・・・・・、
決まった!!!
真ん中からまっぷたつとはいかなかったものの、しっかりと割れていることが確認できる。
これは嬉しい! ここ数年でこんなに心の底からはしゃいだことってないかもしれない。
一発外しても何度でもトライできるのも良かった。行事のスイカ割りだと一度失敗した時点で次の人に交代しなければならないが、今回は僕自身による僕のためだけのスイカ割りなので何度でも挑戦し放題だ。
だが、僕ひとりだけでここまで辿り着くことはできなかった。わざわざ付き合ってくれた弟にも改めて感謝したい。
海水浴にもバーベキューにもコミケにも花火大会にも行かなかったが、それでも今年の夏は僕にとって特別な記憶になると思う。
これを読んでくれている人の中にも、スイカ割りに憧れと苦手意識を抱いている人はいるだろう。“スイカを動かせるスイカ割り”ならそんな人でも楽しみやすいはずなので、よかったら試してみてほしい。
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