私がダンスに辿り着くまで3(体操編②・閲覧注意かも)
超絶自分語りな上、アキレス腱断裂・摂食障害など心身ともに痛い内容が出てきます。
危険な香りを察知した方はそっと閉じてくださいm(__)m
大学に進学し体操部に入部。そこはびっくりするくらい前時代的なザ・体育会系な世界だった。
私はそれまであまり上下関係のきつくない所にいたので(自分が傲慢だっただけ)ほんとうにびっくりした。
ジュニア時代に憧れの目で見ていた強豪クラブの人が、いかにもな意味のないむしろ競技力向上の妨げになるような上下関係を作っている姿にがっかりした。
また、(今思うと物凄く失礼で偏った物の見方からの感想だが) 昔は才能があったが高校で燃え尽きてしまい、体操以外の世界を知らないからとりあえずこの大学に入って惰性で競技を続けている人がほとんどのように見えた。(いや、お前も手術直後はそんな感じだったよ?💦)
諸先輩方にもそれぞれの事情があっただろうに、そういう事が分からない当時の私は「才能があって動ける身体があるのに。そんなに体操が面倒くさいなら、私の膝と換えてくれよ!!」と、またも怒りを滾らせていく。
私はまだ膝の怪我が完治していないため、最初の1年間は試合に出れないという条件で入部している。
思い切り動けない自分はリハビリやトレーニング、筋力が回復してからは競技の練習に没頭した・・・いのに、雑用が多すぎてそれも叶わず。
ここでもまたチームから浮いてしまう。
私は常に怒りを抱えながら生きていた。
なぜ周りの人は体操に真剣じゃないんだろう? 私はこんなに頑張っているのに認めてくれないんだろう? なぜこんなに受け入れてもらえず孤独なのだろう?(そりゃそんなやべーやつ、関わりたくないよ💦)
ようやく試合に出られる!となった2回生の夏。3つ試合に出た後アキレス腱断裂。また1年リハビリ。復帰して悔しさを練習にぶつけていた3年の夏、反対のアキレス腱断裂。宙返りで床を蹴った瞬間ごきっと音がして着地するまでの時間がスローモーションに。「あ、切れた・・・これどうやって着地する?はあ~体操人生終わった・・・」
片足で着地して後転で受け身、天井を仰いだまましばらく動けない。絶望。
膝もアキレス腱も同じ病院に入院してるので、布団に籠ってリハビリをサボっても、理学療法士さんもしばらくは放置してくれる。
もう無理だ。復帰しないならあんなしんどいリハビリなんてできない。
はじめてだったら何も知らないからなんとかこなせるけれど、あれをもう一度・・・無理だ。
それでも手術は終わって歩けないと生活が不便なので、本当にだらだらリハビリをはじめる。真面目ちゃんだった私がはじめて無気力にだらっと課題をこなす。それでもあんまり怒られないのは本当に哀れだったんだろうね。
退院して大学に戻る。右も左もアキレス腱が切れたら、手術して回復しても怖くて全力で床を蹴ることなんて出来ない。
不器用で脚力しか才能がなかった自分はもう体操はやめとけってことなのか?
大学に入学するとき「体操ができるのは後4年間しかない、アルバイトなんかしてるヒマはない。」と思っていたけれど、今は体操が怖い。ちょっとバイトでもして気を紛らわそう。
そうしてプチプラの洋服屋さんで販売のバイトを始めた。
オシャレに興味はあったけど、これまでそんなヒマも余裕もなかったから何も分からない。でも楽しい。。
そうやって気持ちを宥めながら過ごすうちに、大学4回生になった。
一応トレーニングや練習を再開してはいたものの、本格的に試合を目指して復帰するには迷いがあった。
心身ともにギリギリだった私は、これが選手として体操ができる最後の1年なんだと思う。
「いまだに過食嘔吐はあるし醜いデブのままだ」「チームで浮きまくっている」「アキレス腱が怖くて思い切り蹴れない」「昔のような難度の演技は出来ない」「身体のあちこちが痛い、しんどい」
それでも。
復帰しようと決めたきっかけがあった。
オリンピックメダリストの男子選手が事故で右肩の神経を損傷したものの、社会人大会に出場し片腕で演技をしている映像を見たのだ。
彼がなぜ片腕でも体操をやろうと思ったのかはわからない。でも背中を押された気がした。
「この1年は、自分がやりたい体操を、本当に自分のためだけにやろう」
本当に最後なのだから、「やりきった」と思ってすっきり体操を終わらせたい。
今まで人に認めてもらうため、わがままな自分で浮いててもチームに存在する許可を得るために心身を壊しながら体操に縋り付いてきたけれど(←点数取れてもそんなヤツ嫌やわ(^^;))、自分のために体操をできるようになれば、それが自立ということなのかもしれない。
「今私は自分のために体操をしています」というのが伝わる演技をして、家族やこれまでのチームメイト、先生方に見てもらえたら、それが恩返しになるかもと思って。
腹は決まっても痛いものは痛いし、怖いものは怖い。過食嘔吐だってまだある。デブで醜いままだ。かつての難度には到底及ばない。昔の自分を知っている人が見たら哀れな姿だろう。
でも「体操が好きなんです」を表現するなら、腕がなかろうがデブだろうが下手だろうが関係ない。ただ一生懸命やればいいのだ。
そういう希望と、
でもやっぱ自分醜い、怪我せず終われるだろうか?無事試合が終わったとして、本当に満足して辞められるのだろうか?そもそも試合まで心身がもつのか?という不安を行ったり来たりして過ごした。
体操競技人生最後の試合はギリギリ無事に終わった。
今まで苦手で一番へたくそだった段違い平行棒で、無理を承知で入れた憧れの離れ技はやはり成功しなかった。
跳馬は長らく出来ていなかった自分史上最高難度の技を、ギリギリ成功させた。
床運動は曲と振り付けを自分で新しくして、ミスなくやりきった。
平均台で不思議な経験をした。演技中、観覧席で応援してるかつてのチームメイトの声がはっきり聞こえたのだ。
大きな掛け声ではない、独り言のようなささやき。どこにいるのかもわかった。そして体の痛みを感じない。「あ、これがゾーンってやつ?」などと思う。すべてミスなく終えた。
後で確認したら、聞こえた通りのことを言っていたらしく二人でびっくりした。(彼女とはジュニアクラブが一緒だったが高校進学で違うところへ進み、離れてからお互いの良さが分かって戦友のようになった数少ない友達)
試合が終わって思ったことは「はあぁぁぁ~~~、なんとか無事おわったぁ・・・体中痛い、もう動けない、死なずに済んでよかったぁ(TT)・・」(へなへなへな・・・という感じ)要約すれば『ほっとした』、だった。
その後の就職活動は氷河期の中フィットネスクラブとアパレルで探し、フィットネスは全滅、なんとかアパレルで決まった。
ようやく体操編が終わっ・・・・てないのだこれが(^^;)
続く