2023/04/07 #63
少し前に、1冊の本を読み終えた。
アクセプト・インターナショナル代表理事 永井陽右さんの著書『紛争地で「働く」私の生き方』だ。
私が永井さんを知ったのは、
堂本光一さんがナレーションを務めるからという理由で観た番組、日本テレビのNNNドキュメント'22「"テロリスト"とつくる未来−ソマリア 永井陽右の挑戦−」だった。
そこで、感じたのは、
同じ国で育った同世代、しかも人数は多いけれど同大学出身の人が、私の行ったことのない、私からすれば関連性を見出しにくいソマリアという地で、想像を超えるであろう危険と隣り合わせで活動していることへの、言葉にし難い衝撃だった。
勝手な妄想かもしれないが、地球上の80億人の中でいえばおそらく遠くない背景を持った人が、「テロや紛争のない世界」の実現のために、紛争地で、日々考え、行動している。
そのことを知った時、ソマリアはまったく他人事ではなかった。
何がきっかけで、何のために、この人はこの活動をしているのだろうと疑問に思った。
もう一つ、
活動の中で対峙しているのもまた同世代、あるいはもっと若い人たちであるということにも驚いた。
自分が誰かを「若者」と呼ぶことには違和感を感じるが、
若者が若者と一緒に世界を変えようとしている。
そうだ、私も周りの人と世界をよくするために行動できるはずなのだ、という気づき。
一方で、衝撃の中に、自分が共感し得る何かを感じた。
だから気になって、新著を読んでみたのだ。
共感し得る何か。
それが何か、読んで思ったことを書いてみる。
この本の中で語られているのは、紛争地で働く永井さんの生き方であるが、
紛争地でなくても、ラジオ局だろうと小売店だろうと、そこで働く人それぞれの生き方があるという点で、彼が特別ではない、ということ。
また、〇〇で「働く」私の生き方、とした時に、
たとえば自分の職場や仕事を〇〇に当てはめてみたら、
おおよそ彼と同じくらいの期間の社会人生活の中で行き着いた私の一つの行動指針は、「できるかできないか」ではなく「やるかやらないか」であり、
一見全く異なる業務内容であっても、その指針は近しいものである、ということ。
もちろん日常で備える必要のある危険の数や種類に違いはあるが、
どこの職場だって、次の瞬間、車が突っ込んでくるかもしれないし、自分が大きく転倒するかもしれないし、
同じ人生の結末にたどり着くのだとしたら、その過程で起こることに大差はないようにも感じられる。
私も、自分が使命を感じた場所で、できる得る限りのことをするのだ。
それがどこであろうと何であろうと。
願わくはそれが世界をよくするものであってほしい。
一瞬でも、一人でも。
そんなことを思った。
そして、読んだからには、同世代の、(国や宗教やあらゆるものが同じでないとしても)同じように生まれた人間のために、自分にできることをしたい。
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