「言葉にできる」は尊くない。〜頭木弘樹「口の立つやつが勝つってことでいいのか」【読書感想文】
高倉健さんの有名なセリフに「自分、不器用ですから」というのがあるが、私たちはどこかで不器用な人に対して憧れや好感をいだいているのだと思う。
裏を返せば、何でも器用に「こなしてしまう」タイプの人のことをちょっとうさんくさく感じるし、「できすぎた理屈」みたいなものを疑う。“口の立つ”人のことがどこか尊敬できないように感じる。
自分自身に対してもそうだ。自分の不器用さにうんざりすることがしょっちゅうある一方で、何かを器用に「こなしてしまった」ことに対して嫌気がさすこともある。誰もがないものねだりで、矛盾をかかえている。
本書は、比較的読みやすい本だ。字が大きいし、改行も多く、文章は平易。
けれど、私にはすらすら読めなかった。理由は明白で、書かれてあることにいちいち共感してしまい、そのたびに立ち止まらざるを得なかったからだ。
個人的に、就活や入試における面接が苦手である。はっきり言って、嫌い。自分自身の人生において、そういったものを可能な限り避けてきたつもりだ。
面接では、「すらすら答えられる」ということが評価基準の一つになるのだと思うが、私はそのことに対して違和感をおぼえてきた。言葉にできることがすべてなのか?理路整然としていることがそんなに良いことなのか?という疑念とともに。そんな私には、本書に書かれてあることが大いに救いになった。
面白かったのは、「お互いの好きな理由を明白に答えられたカップルほど別れる確率が高い」という実験結果があるということ。
本当に大好きなものは、どれだけ言葉を尽くしても、いや、言葉を尽くせば尽くすほど、「うまく表現できない」「語りきれない」という無力感・挫折感に通じる。逆にいうと、その感覚こそが、その対象を“真摯に思っている”ということの証なのではないか。
「言葉にできない」ことに何度も挫折し、そんな自分に落胆してばかりの私のような者には、本書は救いの書であったし、「みんないろんな事情を抱えている」という当たり前のことに思いを馳せることの大切さを教えてくれる、やさしい指南書でもあった。
とくに、「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける」という箇所が刺さった。クラスの雰囲気に馴染めない(馴染まない)タイプの友達の方が、人生について真摯に考え、いざというときに頼りになる“哲学者”だったような気がする。
「不器用さ」のもつ魅力の正体がわかった気がする。それは、本来語り尽くせないものをどうにかして語ろうとする生真面目な姿勢のことである。真摯さや誠実さが滲み出たものである。
不誠実や不真面目が「勝つ」、世の中であってはならない。
最後に、印象的だったロラン・バルトの引用。