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息子のポケモンパンと、私の煩悩

私は6歳の息子に
「素敵だな…私も見習おう」
そう強く思うことが時々ある。

息子の空手教室はショッピングモールの上にあるので、空手の帰りに牛乳とかヨーグルトをさっと買って帰ることがよくある。
その日も、そうだった。

子供、特に男の子はみんなデフォルトでポケモンが大好き。なんだと思う。
カラフルで、可愛くて、かっこよくて、進化して、
たくさん種類がいて、集められて
それをなんと、カプセルに入れて持ち運べて冒険ができる
そしてポケモンたちは心強い相棒になる。

そんなもん誰でもワクワクする。
ワクワクワードとワクワク設定が渋滞しすぎて反則だ。子供にポケモンを嫌いになる理由は微塵もない。
ポケモンは完璧だ。
その設定考えた人は、
きっと全知全能のワクワクを司る「神」に違いない。

そんなわけで息子ももちろんポケモンが大好きなのだ
ポケモンパンについているポケモンシールを
まるでそれがポケモンかのように集めている。

その日は、空手の後のお買い物で
牛乳、ヨーグルトと朝食に食べそうなものを買う流れで
ポケモンパンを2つ買ったのだが

その日の夜
寝る前に歯磨きをしていると息子が言った。

「あー早く明日にならないかなー」

理由を聞くとニコニコしながら

「ポケモンパンが食べれるから」

という。

今まで何度も買って食べたことのあるポケモンパン
味はわかっている。同じシールが出ることもある。
それでも
明日が待ちきれないほどに、楽しみだという。
ポケモンパン以外は普通にいつも通り保育園だし
明日はどうやら雨だし・・・
特に楽しいことはないかも知れないのに

なんて素敵な奴なんだ・・・と思うと同時に
私は自分を顧みた。

私はどんな朝食だったら明日が楽しみなんだろうか
ビルズ? サラベス? 

どれも、くだらなく思えた。
ビルズやサラベスがくだらないのではない

自分がくだらないのだ。

とりあえずまず最初に浮かんだのが
非日常を味わえる高級なお店、、、
それはきっと、この平和な日常に楽しみを見出せていないということだ。

自分は6歳の息子に比べてはるかに安易であり
ダサくて不幸な人間に思える。

以前にも
早く明日にならないかなーと
ニコニコ、そしてワクワクする息子に理由を聞くと
「保育園で作っているレゴの続きができるから。」
「明日は給食がカレーだから。」
と言う。

散々やっているレゴ。家でもやって保育園でもやって
どんなにやっても飽きない、レゴは本当にすごい。
カレーは美味しい。
カレーもすごい。
でも、そんなことはとっくに
6歳の彼も知っている。
その楽しさも美味しさも。充分に。
充分に知りすぎてもはや”日常”だ。

それでも、息子は明日が待ちきれないのだ。

なんて素敵なんだろうと思う。

そして私はなんて欲張りな人間であるのかと思う。
そして同時に損をしているとも思う。

もっと日常をきちんと楽しめれば、しっかり味わえれば、
きっともっと息子のように
明日を待ち遠しく思える気がする。
もっといつもご機嫌でいられると思う。

息子はいつもニコニコしている。
基本ご機嫌な奴なのだ。
世界中のいろんなんものを自分なりに解釈して
人は人、自分は自分。そうした上で
自分の「好き」を素直に、大事に大事にしている。
ように思う。
誰かと比べたりはしない。

私はこんななのに
どうして息子はこんなに素敵な人間に育ったのか
まだ6歳だからかも知れない
6歳の世界は狭い。もっと広い世界を見たら
もっといろんなことが羨ましく思えて
ポケモンパンでは満足しなくなるかも知れない。

しかし、
今自分が持っている物を、
自分の日常を、
愛することを、
それをやめてはいけない。

羨んでも、欲しがってもいい
でも、自分の日常を誰かのそれと比べて
怒ったり泣いたりいじけたりしてはいけない。

なぜなら、そんなことをしても
そこに幸せは無いからだ。

足るを知る。

この言葉が昔はとても嫌いだった。
今あるもので我慢しろ、満足しとけ
お前の能力はそこまでだ。
不十分、足りない、諦めろ、その程度、
若い頃、向上心だけは人一倍あった自分は
そういう意味だと思いこんでいた。

でも今は違うとわかる。
むしろ真逆の意味だ。
世の中はすでに満たされている。
十分である。満足なものである。満ち足りている。

そう。世界はすでに喜び、希望、楽しさ
とにかくワクワクする素敵なもので満ちているのに
それをそうと受け止められないのは
私の心が未熟だからなのだ。
子供の頃はきっとそうではなかった
しかし、大人になり、世界や視野が広がるにつれ
きっと私の心が未熟になったのだ。
知識が、欲が、向上心がそうさせたのか。

いや、向上心も知識もある程度の欲は必要であるはずだ。
ただ、今あるもの(現状)を愛せないことが間違いなのだ。
向上心も知識も欲も持ちながら、今を愛すこと
感謝することはいくらでも出来る。

なんだかよくわからないが
この現状に満足できない、
誰かと比べもっと欲しくなってしまうコレ。
きっと、これこそを”煩悩”というのだろう。

まだ9月だが、私は今すぐにでも
寺で108回鐘をつかねばならない。


息子が大きくなり、その世界が大きく広がっても
自分を、自分の持っているものを、好きなものを
誰かと比べたりせず
ただ素直に、真っ直ぐ、大事に愛し続けてほしいと思う。
それが出来る人はきっと
自分以外の人間の
大切なものも大切にする”気持ち”を大事にすることができる
そういう人だと思うから。

日常を楽しめること、幸せだと感じられること
それはなんと成熟した心だろう。
世界にも、自分にも
希望が溢れていると感じ
いつも明日を楽しみにワクワクし続けてほしい。

日々のちょっとした好きを素直に愛し、
大切にして、楽しみにすること
好きであること、楽しみであることを
言葉にすること。

ひねくれた母はまず
そこから始めようと思った。


そんなわけで
あー今日も、お家のお布団で寝られて
幸せだなあ。私は寝るのが大好き。






















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