本を作るために書く文章。(3)
ぼくが住むこの町には、本屋がない。いや、実はこのあいだ、普段は歩かない地域の路地裏を歩いていたら、本を売っている商店は見つけた。日用品を売っているスペースの片隅に、古書じゃないかと見まごうようなデザインの、昭和感ある新刊雑誌が申し訳程度に並べられていた。きっと買うのは、近所の常連さん。品揃えからして、おばあちゃん。本は扱っているが、本屋ではない。
わが町にはかつて、地域の大型書店が1軒だけあった。それももう10年ほど前に、撤退してしまった。それからは、町外のショッピングモールにある大型書店に足を運ぶしかなくなった。そうなると、出かけるのが億劫になる。欲しい本がはっきりしている場合は、いよいよネットで買うことが多くなった。
数年前、テレビのローカルニュースで本屋に関する特集があった。この出版不況と言われる時代に、高松に新しくできた新刊書店を取り上げつつ、香川県内の現状を紹介していた。本屋のない地域がパネルではっきりと名指しされていた。わが町がそれに入っていなかったのは、意外だった。先述した日用品店が書籍を扱っているから、書店としてカウントされているのだろうか。
新刊書店や古書店の存在は、その地域の文化度を推し量るバロメーターだと思っている。だから、わが町の惨状はどうにもいただけない。しかし、ネットで注文すると次の日にはほしい本が届くこの時代に、物理的な空間で限られた数の本を売ることが効率的でないのは確かだ。だからこそ、最近の本屋は飲食スペースを併設したり、イベントを展開させたり、ともすれば本の出版まで手がけるようになるのだろう。純粋な『本屋』ではなくなりつつあるのかもしれない。
それでもやはり、本屋が地元にあるうれしさは他の何にも変えがたい。ぼくはもしかしたらこの町で、本屋をはじめるべきなのかもしれない。そんな性懲りもないことを、最近また考えている。決断は、まだ。今しばらく、この考えを転がしてみよう。