見出し画像

怪物、だーれだ__「怪物」を観て来た

監督は是枝監督、
脚本は坂元裕二さん、
音楽は坂本龍一さん。
これは観るしかない、と雨の弱くなったところでいそいそと映画館へ。


三つの視点で描かれる、
あるできごと。

この“ある出来事”というものも、
たぶん当事者たちにとっては少しずつ違ってしまっているのではないかな、
と思う。

1人目の語り部は、安藤サクラさん演じるシングルマザー。
父親は亡くなっており、そのことを息子にたいして申し訳ないと思っている。
父親がいなくても、
出来る限りのことはやる。
息子に幸せになってほしい。
そのためになら、つよくもなるし、我武者羅にやっていける、、、
頑張る彼女は、
ある日から息子の様子の変化に気付いていく。
夜、いつまでも帰ってこない彼を探しに行き、
車で帰る途中、息子はいきなり走行中の車から飛び出してしまう。
いったいどうしたのかと尋ねると、
「先生に、、、」
と消え入りそうな声で答える。
何とか息子を守らなくてはと学校へ乗り込む母親は、
しかし学校のあまりの対応と、
担当教諭の謝罪の気持ちの無さに苛立ちを募らせていく、、、

二人目の語り部は、その担当教諭。
若く、赴任してきたばかりの先生は、永山瑛太さんが演じています。
彼女にも、
同じ先生同士でも、
どこか彼を小馬鹿にするような態度や言葉を投げかける。
それに気づきながらも、
波を立てないことを優先して笑って流していく。
そんなおり、1人の生徒が教室で暴れる騒動が起こる。
その時手が当たってしまったことが、
あとあと暴力として取りざたされて行ってしまう。
子供を見よう、友人のように、頼りにしてもらえる大人であるように、
しかし、子供たちの目線での世界と彼の目線の世界の距離は確かに開いていて、、、

三人目の語り手は、子供たち。
親の「幸せになって欲しい」
「そのためなら、なんだってしてあげる」
「あなたがしあわせになることが、人生の目的」
「特別じゃなくていい。ふつうの幸せを」
そんな願いが、どれくらい高級で、特殊で、試練の連続の上に成り立つのか、親になった瞬間に忘れてしまうのかもしれないし、
自分の子にだけは、そのくらいの幸せは最低限与えられるべきだと思ってしまうのか。
でも、その“普通”が当てはまらなかった彼らは、
苦痛を脱ぎ合い、お互いを必要としていく。

ふたりで築き上げる基地。
お風呂に埋もれるようにして浸かっていたのを、
引っ張り上げる場面の、なんだか難産を乗り越えるような感覚。
過ぎ去った台風の残した、鮮烈な光が彼らに降りかかるとき、
彼らは彼らとしてだけ、その中に立っていられたように思う。

「かいぶつだーれだ」

最初、予告を見た時はサスペンスとか、
イヤミスとか、重たくて、暗くて、どろどろとしたものを観るのだろうと思っていました。
だけど、見終わったあと残るのは、
あまりに白い光でした。

坂本龍一さんの残してくれた音楽のやさしさ。
校長先生役の田中裕子さんの、
あの寄る辺の無い目や言葉。
それでも心が壊れかける子供にかける言葉はたしかに教育者の言葉で。
あの場で、確かに生きている人でした。

正直、担当の先生は、
「え、、なんであそこはあんな態度だったの?」
と思う部分が残るのですが。
(もしかしたら、母親からの目線ではそう見えていた、ということなのか)

こまごまと辻褄が引き合っていくまま、
夢中で観ていました。
静かで、誰の心も鮮明に開示されることはありませんが、
こうだったのかもしれない、というところまでしか考えてはいけない映画なのかもしれません。
誰も誰かの正解を差し出すことはできない。
ただ、自分の中の答えを考え続けることしか。

配信されたら、
もっと考えながら見てみたい一作でした。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集