神戸の映画館で「ハッピーアワー」を観てきた昨日の私
『ドライブマイカー』や『悪は存在しない』で大好きな監督さん、
濱口監督の初期の傑作のひとつ、
『ハッピーアワー』が一年に一回上映されるという。
それもそこには監督をはじめとしたキャストの方々も登壇されるという。
これに誘ってくれたのは、
なんとこの映画の中に味わい深いおばあちゃん役で出てくる、
私の詩を応援してくださっている詩人の福永祥子先生でした。
(「先生は女優よ!」
と言われるのも納得の名演技でした。)
川柳人のまりさんや、画家のよし栄さんもいっしょに観に行ったのですが、
チケットはまりさんにお任せしてとっておいてもらいました。
(朝のうちにいかないと、チケットが売り切れてしまうので)
私と母が映画館に1時間前に辿りついたときに、
丁度チケットが売切れていくところでした。
小さな、昔ながらの映画館。
前のひとの頭が邪魔で画面が三分の一が見えない。
そんなことさえ何だか懐かしい気持ち。
お話は、
4人の仲のいい女性たちのピクニックの場面から。
彼女たちにはそれぞれに、
苦悶があり、靄がかるものがあり、
男女の関係の薄情さ、
自身の個別識別の怠惰があり、
それぞれのなかの正義も悪意もある。
そんな一見微笑ましい四人に、
ひとつの罅をいれる告白が放り込まれ、
それはあっという間に様々な方向へとその割れ目を広げていく。
空っぽであることが面白い自身に空虚さを感じているアーティスト。
理論で説明できないことを理解できなかった物理学者。
家のことは妻、外のことは男、と息子の問題から逃げた男。
作家を大切にすることと、
愛情のはき違えと、それでも気付かずに大切にしていた(奥にしまい忘れていた)妻への尊敬に呆然とする男。
好き、が分からない作家の最愛の告白。
空っぽな兄が好きな、空っぽでいたい、空っぽのまま兄のそばに影のように漂っていたい妹。
いくらでも主役に出来そうな、
あまりにもたくさんの人の感情が太く細く三つ編みを編み、
それを抱く頭皮は大変なぎりぎり具合で成り立っている、
みたいな映画でした。
まるで集大成のはじまりのような映画。
五時間という時間はあっという間にすぎ、
五時間でよくこれほどまでに詰め込み、
そしてひとつの方向を指すところまで描いたな、
と驚愕するくらいの映画でした。
ああ、やっぱりこの監督の映画が好きだ、
と思いました。
映画の終りには、
登壇されてのお話があり、
みなさんの仲の良さや、
監督への信頼感が感じられる良い時間でした。
その終わりに私とまりさんでお花を監督と助監督さんにお渡しにいくという役目だったのですが、
マジでこいつはなんなん?と思われたことだろう、、、、
と思いました。
私は「大ファンです」と言い、お花を渡しました。
もう、やっかまれてもいい。という感じです笑
その後は映画館の二階部分で演者の方や監督からのサインを頂ける時間が設けられ、
はじまったのは一時頃でしたが、
全てが終わって駅に帰り始める頃には夜の八時になっていました。
ちなみに私は先生がそれでいいよ、っていうから持ってきた
『悪は存在しない』のパンフを持ってきていたので
(そしてチケット代と電車代でお金がなくて、
ハッピーアワーのパンフを買えなかったので)
監督だけのサインを頂き、
横でご自身もサインする側なのに
「総子ちゃん!ちゃんというのよ!」
という祥子先生からの言葉に
「あの、祥子先生が私の詩集を送ってくださっていまして、
もしお時間がありましたら、是非読んでみて下さい。
とし総子と申します」
と言って、さっと消えたのでした。
監督、、、詩集気付くかなぁ、、、
何はともあれ、
とってもいい映画納めができました。
監督、これからも素敵な映画をお待ちしています!