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優しさに裏打ちされた切なさ

私が、
小説と詩を書いて
生きていきたいと考えるようになったのは
私が中学生の頃のことです。

小説も詩も小学生の頃から書いていましたが、
どこかで自分の書くものに
否定的な気持ちがありました。

友人は褒めてくれるけれど、
大人の人が読んだらどんなふうに感じるのだろう、、、

そうは思っても、
大人の人にいきなり読んでください!なんて
なかなか言うこともできず。

大人に読んでもらう機会もなく、
私は中学の二年生から
生まれ育った徳島の家にひとり帰ることになりました。

家族でいっしょに暮らそう、と
いう両親の気持ちを引っ張りちぎって
「田舎に帰りたい!
ひとりでもかえりたい!!」
と言い続けた結果です。

一人、とはいっても
田舎の家をひとりで守っていた祖母と
二人暮らしです。

田舎の中学では、
本当にのびのびと過ごせていたなと思います。

悲しいことは、
それとは関係なく起こるので、
私は残念ながらたくさんの子が通うようには
中学に通えない日もたくさんありました。

そんな風に教室に行かれない日、
私は、中学に併設されている図書館に行くようにしていました。

変わった図書館で、
一階は町立図書館、二階は中学校の図書室になっていて、
昼休みには中の階段から行き来ができるようになっていました。

一階に入り浸っていた私に、
ひとりの司書さんが話しかけてくれるようになりました。

彼女は、穏やかに私の話を聞いてくれました。
流れで、私は彼女に小説を書いていることを話しました。
彼女は是非読ませてほしいと言ってくれて、
私はおそるおそる書き上げたばかりの小説を渡しました。

その小説は、『双海』というタイトルで、
双子の一人が特殊な体をしており、
そのことで政府から助成金が出て
(宗教上の保護対象のようなものだったのです)
父親は自分の役割を見失います。
母親は父親が出て行ってしまってから、精神を病んでしまいます。
壊れた家族を捨てて、
双子は家をでます。
そしてある医者の家に厄介になりますが、
もともと長く生きることができない体だった片割れが亡くなります。
息を引き取る時にそばに居た医者の息子は、
その遺言を生き残った片割れに伝えます。
そして片割れは、、、

というお話でした。

小説を読んだ司書さんは、
私に乙一さんの『きみにしか聞こえない』と
『夏と花火と私の死体』を持ってきてくれました。

司書さんに勧められるまま
私はその2冊を読みました。

読み終わってからあらためて司書さんに会いに行くと、
彼女は
「あなたの書いた物語は、切ないお話だった。
私は乙一さんが似てると思ったの。
でも、乙一さんの切ないお話というのは
寂しさに裏打ちされた切なさなんだと思う。
でも、あなたの小説は優しさに裏打ちされた切なさだった」

「これからたくさんの本を読んで、
もっとたくさんのお話を書いてほしい」

司書さんはそう言って、
また私と年が近い作家さんや、
雰囲気が似てる小説を選んで教えてくれるようになりました。

恩田さんや、
江國さんは彼女に教えてもらって知りました。

はじめて大人に読んでもらった体験と、
そして自分の書いたものが
誰かに切ないと思ってもらえたこと。

それが本当にうれしかったです。

彼女が最初に渡してくれた乙一さんの2冊は
本当に美しく、
無駄がなく、
もうただただすごいな、面白いな、と
あっという間に読み終わりました。

司書さんは、
学校になかなか行かれない私を励ますために
言葉をかけてくれたのかもしれません。

それでも、
『優しさに裏打ちされた切なさ』
という言葉が私の骨にすっと入って、
背筋を伸ばすように内側から響いてくれています。

夏が近づき、
文庫本のおすすめが本屋さんに並びはじめると、
毎年乙一さんの本に目が止まります。
何度も表紙を替えながら、長く愛されるそのタイトルを見つめて、
私は彼女の言葉を思い出します。

恐れ多いけれど、こんなすごい作家さんたちに続くように、
いつか毎年本屋さんで出会える物語を書きたい、
と胸に唱えます。

私にとって、そんなはじめの気持ちを何度も甦らせてくれる。
この本は、
ただ一冊の本です。


#人生を変えた一冊

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