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彼はそれを確かに愛と呼んだからさみしい

このnoteには、『ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密』のネタバレがあります。
お気を付けください!!!



自分の状況(ただいま絶賛解雇について話し合い中の職無し)だけど、
 どうしても、どうしても観たくて、夫に昨晩 
「ごめんね。どうしても明日は贅沢してくるよ!」
 と言って(夫はぽかんとして「もちろんいいよ」と言ってた)朝一の回を観てきました。

 ハリーポッターシリーズは原作を全部読んでいて、映画も映画館に見に行きました。
 ハリーポッターのラスト近くは色んな人が亡くなりますが、その場面の数秒前に私が泣き出すから、いっしょに観に行っていた夫からは 「すごいネタバレだよ!!」 とびっくりされ続けたことは今もよく引き合いに出されます。(どっちがネタバレする人なのか、問題について) 


ファンタスティックビーストシリーズは、愛と孤独の話なんだな、と今回の映画を観て思いました。 

映画のはじまり、ダンブルドアがレストラン?で人を待っている場面。
 約束をしていた、というより、ここに彼は来るだろうと確信して(でも不安を少し抱えて)彼は待っています。
そこにやってきたグリンデルバルド。
目をみて、しばらく考えを読み合うような空気が流れます。
 でもその時二人の眼の中には、たしかに愛情がありました。 
グリンデルバルドが 
「二人にはたしかに絆があった」 
というのに対して、ダンブルドアが 
「いいや、愛してたからだ」 
と答えます。


 今回の大まかなお話は、グリンデルバルドがキリン(麒麟にしなかったのは字幕的な問題なのか、麒麟とはまた別の生き物として描くからなのか)をつかって、 国際魔法使い協会の指導者となることをニュートたちが阻もうとする、というものです。
 前作よりも話にメリハリは少ないように思いますが、五作で完結する物語の真ん中の作品としてはとても魅力の詰まった作品だと思います。
 魔法を使うシーンはやっぱりどこまでが現実なのか分からない映像だし、
魔法生物は今回初登場のワイバーン(変な鳥に見えるドラゴンの一種)や
キリン(見た目は小鹿)、レギュラー生物のテディとピケットもさらに可愛くて、生き生きしていて、本当に見ているだけで楽しかったです。
ちょこちょこ出てくるホグワーツの様子も懐かしくて、行ったことなんてないのに懐かしの母校を見てるみたいでした。

だけど、そんな楽しい場面よりも、私には胸が苦しくて痛いと感じる場面の方が多かったです。 
ハリー本編でも描かれていたダンブルドアとグリンデルバルドの確執。
 それがより肉感を伴って描かれたのが前作であり、今作なんだと思います。 ダンブルドアがもしもただ強くて、賢いだけの魔法使いだったなら、グリンデルバルドと今もいっしょにいられたのかもしれない。
 大義や正義や、大きすぎる責任を肩に乗せる類の、選ばれた(選ばれたがっていたのは本当だったし、事実選ばれるべき人だったけど)魔法使いでなかったら。 
そんなもしもを、きっと考えても仕方がないし、だからといって考えずにはいられないし、を繰り返して、ほぼ表に出さないようになった今も、 ダンブルドアの胸のうちにしっかりと『愛』は残っているんだと思うのです。
 映画のラスト、グリンデルバルドが攻撃のために放った魔法に、守るために放ったダンブルドアの魔法が接触したとき、彼の持っていた『血の誓い』のペンダントが割れてしまいます。
その時、ふたりは絶望したように感じました。 
ああ、これで本当に戦わなくてはいけなくなった。
もう言い訳はどこにも残っていない。
そんなふうに。
できるなら、今も、そばにいてほしいと、心のどこかで思っているのかもしれません。
ダンブルドアに対してグリンデルバルドは 
「お前をいったい誰が愛してくれる?孤独になるぞ」 
と言い放ちました。
 でもそれはそのまま彼本人の気持ちではないのか。
 周りを信者で集めても、彼の本当のさみしさに触れたことがあるのはダンブルドアだけだったんじゃないかと。
 ダンブルドアは、ハリーポッターでも自分自身の感情や望みよりも、
自分にしかできないこと、するべきことをしなくては、と戦い続けてきた人だと思います。
 そんなダンブルドアのさみしさに触ってくれたひとがいた。
埋め方は正しくなかったとしても(でもそんなこと誰に決められるのか)補いあえた過去が確かにあった。
その事実が、どんなに年齢を重ねても、彼を救ってくれていたんじゃないか。
 そうだったらいいと思いました。
私の中で、あのやさしい人に感じるさみしさが、すこし緩まるように思いました。

この映画で描かれる孤独。
自分の出自が分からず家族というつながり、根っこを求め続けているクリーデンス。
心を読めることがどんな悲しい経験を重ねてきたのか想像しかできないけれど、やっと心をいつでも開いている男性に出会ったクィニー。
 彼らの心の揺れはかすかで、積極的に描かれはしないけれど、
目に宿る「愛してほしい」という叫びがまっすぐに胸に入ってきました。 
彼らへ、小さな救いの道筋が開けたような気がするラスト。 
これが五作目には、どうかダンブルドアに、グリンデルバルドに、
みつけられますように。 
そんな気持ちでいっぱいになった映画でした。


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