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ただいま、『有夫恋』を読んでいます。

今、川柳の本を読んでいます。
タイトルは『有夫恋』と書いて、“ゆうふれん”と読みます。

夫がある身で、
他の男に恋をした女性の眼から読まれた川柳が一冊分、
ぎっしりとはいっています。

一ページに四句、
見開きで八句。
五・七・五の十七文字が八個。
それなのになかなか進まないのです。
一句が濃いのです!

どろどろの恋愛を楽しんでいる、
というよりも、
女として生まれて、生きて、夫である人と出会い、
子を生し、母や妻を求められ、
今まで生きてきたはずの自分は?
と苦しかったり、虚しかったり、奮い立ったりする“わたし”の物語として、
ひとつの句の持つ重たさ、物語りの濃さが、
とっても噛み応えがあるのです。

今で四分の一くらいしか読めていないのですが、
そのなかで何回も読んでしまうものもあり、
噛んでは新しい味を探してしまうところがなんだか詩とも違って楽しい形だなと思います。


この本、実は七月からお世話になっている川柳の先生の、先生の書かれたのが今読んでいる川柳の本なのです。
時実新子さんという方のですが、
面白かったのは、この『有夫恋』という本の中の句は、
すべて想像で書かれたもの、ということです。
先生に言われて一番面白いなと思い、小説と似ているな、と思ったことなのですが、川柳は嘘をついていい文学なのだと。
共感や頷き、気づきを震わせられるのならば、
それが嘘であっても全く構わない。
短い言葉で世界や、目線や、役割を知らせ、
そこに入ってきて味わってもらう。
そこは自分の作り上げた場所で構わないし、
実際の出来事でなくてもいい。
自分の表したいことを書けることばがあるならば、
それが事実ではなくても構わない。
心が優先される。
そういうものなのだということが、とても面白く、
自分もその奥深さに入っていきたいと思ったのです。

実は、
地元の新聞の川柳の投稿に送って見なさいと言われ、
はじめてつくった川柳を投稿したのですが、
(先生にめっちゃくちゃ直してもらって、なのですが)
入選していました。
嬉しかったと同時に、やっぱり先生に直してもらったことへの後ろめたさもありました。
いつか、自分が書いたと言える川柳が載るように、頑張りたいとより思いました。

川柳も書くようになって、
私はざっくりと
詩、小説、日記、、、とジャンルとしてちょっとずつ違って、
なんとなくこれは詩で、これは小説で、と住み分けのようなことができていたところに、久々の新しい種類のものが入ってきて、
「あ、書こう!」
と思ってペンを持ってから
「あれ、これ、詩か?川柳か?」
となることが最近増えました。

川柳を考えていたら、
ふくらんで小説になった、ということはあったのですが、
逆は今のところありません。
でも私の書く詩が短めなこともあって、
書き始めてから
「あ、これ、川柳かも」
とノートを変えたり(川柳と詩は書いているノートが違うのです)。
今は筋肉を整えている状態でもあり、
こんなことも書けるのか、
こういう風にも書くのか、とバリエーションを食べているところなので、
よくこうやって誤作動のようなことを起こします。
または詩が短めになってしまったり、、、

あたらしいことをはじめると、
今まで続けてきたことにも影響が出て、
それがまた面白く、
よく知っているつもりになっていた存在の違う味を知るような気がします。
あれもこれもと手を出して、、、とも思いますが、
使う筋肉は違えども、
同じ体をつかえることなのだからきっと通う風もあるでしょう。
やれることを、楽しくやっていきたいと思います。

そしてこの本、
本当に面白いのでお勧めです。
もっとこういう川柳の本が読みたいと思います。

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