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で、結局翻訳の仕事ってAIのせいでなくなるんですか?
新年明けましておめでとうございます。今年はnoteを折に触れて書いていきたいと思っているので、どうぞよろしくお願いします。以前にも書いたのですが、noteは内容を精査したり予め書くことを設計図的にまとめたりせず、頭の中にあることをそのまま文字起こしするくらいの書き殴りがメインになる予定です。よく言えば素材の味が出ていますし、悪く言えば調理前の具材そのままをお出ししています。お目こぼしよろしくお願いします。
そんな新年ですが、「AIによって翻訳の仕事がなくなった」という主旨の記事がXのポストから大バズりしているのを観測しました。これについて僕がもともとどのように考えているかということは既に自分のホームページのブログにまとめているので、よろしければそちらをご笑覧いただければと思います。簡単に言えば、「市場次第」です。
この件について僕が分析的に考えていることはだいたいこれで全部です。ただ一方で、これに関連して僕が公にしていない部分のこともあります。それは、既存の翻訳業界について僕がどのように感じているかという点です。
どうしてこれを明らかにしていなかったかというと、何よりも、これを公開することに意味がないと思っているからです。僕は、せっかく情報発信をするなら、それを目にした人にとって、何かアクションに繋がるような内容である方が良いと思っています。個人的な義憤や感情の表明は、それを発露することや吐露すること自体に、仮にそれが悪感情なら発信者自身にとってのカタルシス的なものがあったり、その発露の結果に何らかのドラマ性が見出されたりすることもあって、そういう意味でエンターテイメントにはなり得ます。しかしそれだけだと、「これからどうすれば良いのか」という未来の視点が欠けてしまいがちになります。
情報発信をするなら、そういった瞬間的な感情を軸とした一過性のエンターテイメントとしてではなく、少しでも前を向く材料になるような発信をする立場でありたい、というところから、『既存の翻訳業界やその現状について僕がどう思っているか』については、敢えて言葉にする機会を持ちませんでした。
しかし今、『書き殴りがメインである』媒体として、noteという場を得ました。そして『未来を見据えるため』の情報の媒体としては、既に自分のホームページやYouTubeがあります。それなら、今なら、noteになら、僕が感じていることを、濾過しないで垂れ流しても大丈夫なのではないか。
だからここから書くのは、全部素材の味そのままのエンターテイメントです。塩を摘まんでご笑味ください。
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