短詩型文学誌「連衆」101号
短詩型文学誌「連衆」101号(2024年10月号)
編集・発行人 谷口愼也
「連衆」は短詩型文学誌とあるように、俳句欄と川柳欄とがあります。今号には招待作家として俳句から増田まさみさんが、川柳から飯島章友が作品を寄稿しています。
てにをはの亂れて蝶を裏返す 増田まさみ
過去のしおりとしてのしもんかな 飯島章友
他でもない短詩型文学誌ということで、今回は川柳とか俳句とかにとらわれない句群を提出しました。七七句(短句)や自由律、社会性川柳、短歌的レトリックの十七字など、今まで私が吸収してきた様々な要素をふんだんに盛り込みました。それでいて飯島章友の個性で統一する。自分では久々に手応えのあった群作です。やはり私のばあい、ボーダーレスのほうが合っているのかもしれませんね(経済的には脱グローバリズム志向ですが)。
短歌・川柳・俳句・連句・都々逸・五行歌などに触れてきた経験から言うと、各詩分野によって読み手の感性が誘発される「言葉の傾向」はあきらかに違います。さらに言うと同じ詩分野であっても違う。
川柳なんかはそれが露骨で、同じ川柳なのに言葉がまったく通じない状態が長らくつづいています。「自分は現代川柳も伝統川柳も区別していないし、それぞれの良さがわかる」というフレキシブルな人はいます。でも、それはあくまでも個人レベルであって、川柳界全体のレベルで言うと言葉が通じ合っていません。いや、もっと言えば、いわゆる「現代川柳」なるものの存在すら知らない「伝統系」の柳人を私は何人も目撃してきました。言葉が通じる通じない以前に、ネットワークが確立していないのが川柳というジャンルなのです。これはたぶん、50年後も変わっていないことでしょう。
今号の「連衆」では広瀬ちえみさんが「あやふやで強かな川柳」という、広瀬さんの川柳観について書かれた文章が載っています。あやふや。上で私が書いた内容にも通じてきそうです。
川柳欄には笹田かなえ、楢崎進弘、情野千里、わ いちろう、神田カナン各氏の作品が掲載されています。また「はいかいワンダーランド」という記事では、森さかえさんが「暮田真名の川柳を読む」を書かれています。こういう内容からもわかるように、「連衆」は川柳を書くみなさんにも手に取っていただきたい短詩型文学誌です。
……などと言っておいて、このような情報を書かねばならないのが残念なのですが、「連衆」誌はいったん休刊となるそうです。ただ、終刊を休刊と言い換える習わしとは違い、文字どおりの休刊みたいです。再開のめどが立ったら谷口さんからお報せがあるとのこと。とても素晴らしい誌なので、その日がくるのを祈るばかりであります。