小さな祈り
背中に小さな白い羽が生えたのは、一週間前の話だ。
「……何、これ?」
お風呂に入ろうと服を脱いだ時に妙な突っかかりを感じ、鏡を介して背中を眺めると、小さな白い羽が生えていた。繊細な美しさを魅せながらも、何処か造花の様な偽物めいた存在にも見えた。
上手く曲がらない左手を背中に回し、羽の手触りを確かめる。
赤ちゃんのやわらかな肌のようにも、子犬の少しザラついた皮膚のようにも感じた。不思議な感覚であった。
羽を濡らさぬように気をつけて湯船に浸かろうにも、どうしても羽の下側が湯に濡れてしまう。しかし一度濡れてしまうとその気遣いはどうでもよくなってしまい、いっそ全てを湯に沈めてしまう。
髪と一緒に羽も乾かした。風で揺れる羽が背中をくすぐる。芯まで温かさが浸透して、親鳥の羽の中で眠るひな鳥の気持ちになる。
「この羽、どうしようかな」
ベッドで寝転がろうとした時、羽を押し潰してしまう事に気付いて横向きになる。病院に行く手も考えたけれど、こんな姿を見せたら大騒ぎになってしまう。私は目立つ事が嫌いだ。
それに、私はひきこもりである。大学を卒業してなんとなく就職した会社も、理不尽な出来事の連続による自律神経失調症で辞めてしまった。両親からは「お前にやる気がないからだ」と責め立てられ、辞める時に上司からは「甘えがある」と吐き捨てられた。
それが私を外の世界から断つ事の助長となってしまった。
飼い猫の桔梗が私の顔を飛び越えて背中に回る。羽に狙いを定めて前足で何度か引っ掻く。二、三枚ほど羽が剥がれ落ちては地面に落ちた。勢い余って爪が背中を引っ掻き、小さな痛みが走る。
「こら。やめなさい」
桔梗を優しく抱き締めると、威嚇するように歯を剝き出しにして左手の人差し指に噛み付いてくる。血が滴り落ちた。
動物は霊的な存在を視る事ができるそうだ。もしかすると私は、いつのまにかそういった霊的な存在になってしまったのではないだろうか。事故か、自殺などを経て。霊的な、あるいは天使に。
私がもし天使と呼ばれるものならば、この幼い白い羽を見せびらかしながら街を歩くのに。生憎と私はそんな高尚な存在でも、絶対的な対象でもない。それに、素顔さえ見せられないくせに、裸になんてなれる訳がなかった。私が裸を人前で晒すという事は、心を剥き出しにするのと等しい行為なのだから。
「ねぇ、桔梗。この羽、どうしたらいいのかな」
結局、何も改善されないまま一週間が過ぎようとしていた。
背中の羽は、今や地面に届きそうなほどの大きさになっている。
私の全てを包み込むように羽で身体を覆う。
胎児のように丸まる。なぜだか涙が溢れて止まらなかった。
雫で濡れた羽が、希望にも似た輝きを放つ。
両手を合わせて、小さく祈る。
いつかこの白い羽で、羽ばたく事ができるように、祈った。
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