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箱庭の話

 真っ白な部屋だった。
 四畳半ほどの四角に切り取られた部屋で、十メートルくらい上の天窓からは、太陽が見えるのに光が入ってくる事はなかった。
 ふと気が付くと、床に一本の黒いマジックが置いてあった。どうぞお好きなように、そんな事を囁かれたような気分になって、次の瞬間には壁を塗りたくっていた。どうぞお好きなように、どうぞお好きなように、次から次へと描きたい事が溢れて来て、何も考えずにひたすら描き続けた。ひたすらに描き続けた私は、やがて描き疲れ、インクを使い切る前に眠ってしまった。

 眼を覚ますと、気のせいか、天窓の位置は先程よりも高くなった気がする。私が小さくなったのか、部屋が大きくなったのか、そんな事を考えていたら、誰かに左手の小指を掴まれた。そっと下に視線を落とすと、見知らぬ小さな女の子が私の目の前に立っていた。
「何描いてるの?」「私にも解らない」「欲しい物ってある?」「……あるよ」「例えば?」「例えば、私が欲しくない以外の全部」「何個か言ってみてよ」少し面倒臭くなってしまって、私はクレヨンとか、色鉛筆とか、絵の具とか、とにかく思い付いた限りを答えた。

「じゃあ欲しくない物は?」「私が欲しい以外の全部」「例えば?」「例えば、花とか、砂とか、水晶とか、鳩とか、振子とか」「何それ?」「私にも解らない」
 何も生まれない会話のやり取りの中で、私は義務感のようなものに駆られ、また仕方なく壁に絵を描き始める。今度は意識して。意識したはずなのに自分でも何を描いているのか解らなくなって、また眠る事にした。見知らぬ小さな女の子に「おやすみ」と言って。

 再び目を覚ますと、壁全体に塗りたくったはずの絵は、見事真っ白に戻っていて、天窓が今度は低くなった気がした。
「あなたが消したの?」と、尋ねたら「あなたが消したの」と、返事が返ってきた。どうぞお好きなように、どうぞお好きなように、描いても描いても白い部屋が埋まらないように思えて、私はとても怖くなった。描きたくて描き始めたのに自分でも何を描きたいのか解らなくなって、私はまた描くのを止めた。

 眠りに落ちて、目が覚めて、眠りに落ちて、目が覚めて、繰り返している内に落ち着かなくなって、また義務感のようなもに駆られ、私は仕方なく壁に絵を描き始める。
 そうして朝も夜も生も死も解からなくなり始めた頃、気付いた事がある。意識的に絵を描くと、天窓の位置は低くなるけど女の子は悲しそうな顔をする。無意識に絵を描くと、天窓の位置は高くなるけど女の子は笑ってくれる。私は、もうこの真っ白な部屋から出れても出られなくてもいいと感じていたので、女の子を笑顔にする為に、無意識の絵を描き続けた。それだけが嬉しくて描き続ける。
「何の絵がいい?」「お父さんとお母さん」「他には?」「お姉ちゃんの描きたいもの描いて」「分かった」とにかく描き続けた。
 いつしか天窓は霞むくらい遥か上にあって、でもそんな事はもうどうでもよくなっていた。
「欲しい物ってある?」
 女の子がいつかと同じ質問をする。
「うん? もう手に入れたよ」
 そっか、と。女の子が今までで一番可愛く微笑んでくれた。
 瞬間、私は白い部屋の外に出ていた。そして、全部私だったんだな。と、そう感じた。

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652