字を書くのがちょっぴり上手くなる。
先週の一日一恥の記事で、字が汚いことのコンプレックスを書いてみた。
このコンプレックスと向き合わざるを得ない事態になったきっかけが、塔婆だ。
塔婆というのはお墓に立てる、木の板のこと。
これを今年は初めて自分で書いてることになった。とは言っても、大半は印字してあって、自分で書くのはごく限られたものにはなった。
書き終えた後、住職である父のものと比べると、自分の字の貧相さが際立つ。父のものと比べなくとも、印字してある字と僕が手書きした部分の違いがあまりにもあり、本当に情けない気持ちにさせられる。
単に下手なだけなら良いのだけれど、塔婆になると話が違う。それは塔婆は有料だということだ。それも百円とか二百円ではなく、数千円する。
自分の書いたこの塔婆にそれだけの価値があるのだろうか。
「そういう金銭的な感覚で考えるものじゃない」という意見ももちろんあるかもしれない。
でも、自分が払う側の立場だったら
「もう少し何とかならないの?」
そう言いたくなるレベルのものではあった。
「何とかせねば」
心からそう思わざるを得なくなった。
以前はカルチャーセンターで少し字を習っていて、大して上達しなかった、というより練習する習慣がつかなかった。
でも、そのカルチャーセンターにも今は通えていない。
けれどこのコロナ騒ぎの中で仕事らしい仕事も特にしていないので、時間はたっぷりある。とりあえずネットの動画を漁ってみることにした。
最近はyoutubeでも書道について教えてくれる動画がたくさんUPされている。この中でも好印象だったのがこの人の動画だ。
教室に通わなくても色々教えてもらえるのはありがたい。
このお姉さんが他の動画で紹介してくれたのが墨池と筆立てだ。
動画では墨池は陶器、筆立てはガラス製が勧められていたけれど、安さを取って両方プラスチックにした。今のところ問題はない。
このグッズの一番良いのは、筆の練習の途中セーブができるということだ。
書道練習の一番の障害は、その準備と片付けの面倒くささだ。
使った筆は洗わないといけない(次の日にはカピカピになる)し、硯も洗わないと墨汁が固形化してしまう。
それがだるくて、毎日継続できない。
それがこの墨池と筆立てがあると、墨池の中の墨汁は乾かずにそのままだし、筆立てに指した筆も固まることなく、取り出したらすぐに使える。
これで準備も片付けも、めちゃくちゃ楽になった。
そして書道のお手本も今はネットに溢れている。
というかアプリにある。
こいつがめちゃくちゃ良い。
カッコ良い字体がたくさん載っている。
有名な書家さんの字体がバンバン調べられるので、お手本に困ることはない。たまに旧字体か簡体字(現代中国で使われている書体)で調べないと出ないやつがあるのがちょっとあれだが。
例えば「観」は「觀」か「观」で調べないと出てこない。
そして手本が出てくるのは旧字体だけ。
なんとか真似て書いてみる。
うーん、微妙。
まああれやこれや挑戦してみて、常用漢字の「観」を書いてみたら、こんな感じになった。
・・・個人的にはそれなりに上手く書けたと思う。
これでも何枚も何枚も書いて良いのをチョイスしたので、ヒット率はとても低いのだけれど。
道具も揃えて、ほぼ毎日練習していた甲斐はあったじゃなかろうか(最近ちょっとサボり気味)。
思えば、「字が下手」コンプレックス→練習しない→下手な字を書く→コンプレックス強化という悪循環を今まで繰り返していたように思う。
センスの良い人は別として、字の上手い人というのはそれなりに努力をしていたんだろう。
大人になってから練習するのは子供の頃よりも上達は低い。その分練習しないといけない。
ちょっぴり上手く書けるようになったこの体験は、今までのネガティブスパイラルから抜け出して、ポジティブスパイラルに入っていくための一つの布石になってくれそうだ。
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