今さらですが、読書の秋(田柴子)⑱ 大西寿男さん
「勝手に誰かのお話または記事を読む月間」18本めです。
本日は長めの動画。いや、はっきりと長い(笑)
約1時間半です。ご覧になる場合は、お時間のある時にどうぞ!
校正者・大西寿男さんの神戸外国語大学での講演会です!
大西さんについては、今年の初めに放送されたNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』をご覧になった方も多いかと思います。
今年の夏に著書『校正のこころ』『校正のレッスン』等を拝読し、あらためて「言葉とは、なんぞや」という思いを強くしている秋しばにとっては、非常に貴重な講演内容でした。
私は数年前から小説を書いていますが、同時に2年ほど前に校正の通信教育講座を受けています。その講座はちょっと古めかしい内容で「?」も残るのですが、校正というものの基礎に触れられたことは、その後小説を書く時にものすごく役立ちました。
今回の講演も校正というより物語を書く、つまり言葉を紡ぎ、発信するものとしての心がけを改めて学べたように思いました。
中でも
「言葉が伝わらない、誤解される時は、自分が『相手と同じ立場に立っている』という勘違いから起きる」
という言葉が胸にずしりと響きました。
小説を書く中で、自分が当たり前と思って書いていても、読む相手には理解できなかったり、誤解されたりすることが往々にしてあります。
仲間うちで試読をお願いすると、それがものすごくよく判ります。つまりそれだけ自分が「こう書けば通じるだろう」と勘違いしている証拠なんですね。
なのでそうして意見を言い合える間柄に読んでもらえるというのは、非常に貴重かつ重要です。普通はなかなかそこまで突っ込んだコメントをいただけることは少ないので(もちろん感想をいただくのは、たとえどんなに短くても嬉しくありがたいのは間違いないのですが)。
もっとも秋しばは、公募に応募する前に、原稿を誰かに見ていただくことはありません。公募の当落の全責任を自分自身で負うためです。試読をお願いするのは応募が済んで、もはや手も足も出せない状態になってからです(笑)
先日入賞した「やまなし文学賞」の授賞式で、選考委員の方々のご講評を聞いていた私は、表面こそ涼しい顔して座っていましたが、内心では大袈裟に言えばすっかり肝を潰していました。
だって、全然そんなこと思って書いてなかったんだもの(汗)
同時に、いくら隅から隅まで自分が作り出した物語でも、ひとたび作者の手を離れてしまえば、それはまったくの自由なものなんだという事実をひしひしと感じました。
そしてそれと同じこと(たぶん)を講演の中で大西さんが言っていらして、すごく嬉しいというか、我が意を得たりという気分でした。
こんなベテランの方と意見が一致するなんて(いや、こっちが勝手に思ってるだけなんだけど)感激するじゃないですか。
この講演は決して校正をされる方、あるいは校正者を志す方だけでなく、我々のような書き手にも深く関係する有益なものだと思います。
約1時間半と長いですが、大西さんの丁寧で飾らない話し口についつい引き込まれ、結局通しで聴いてしまいました(笑)
それにしても大西さんという方は、本当に真摯に言葉と向きあっていらっしゃるんだな、ということを改めて感じました。
まさに「言葉の紳士」とでも言いましょうか(シャレじゃないよ笑)。
校正、執筆、そして言葉というものに興味のある方はぜひご覧になってはいかがでしょうか。
せっかくですので、大西さんのご本も紹介させていただきますね。
本日は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
*この記事は、以下の自主企画のもとに執筆しております。