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手帳とノートで自己を批判したのち褒めあげることが癖になった
冷めた分析と熱のこもった闘争は相反するわけではなく、むしろ互いを必要としているのだ。
どんな人が書いているの?
*本文2,000文字弱
3年前に離婚したのち、ひとり生きてゆく為にあれやこれやもがき続けている80年式の中年男性が記しています
手書きで書く意味などを考えた
手帳とノート、手書きで書いていますか?
わたしは手書きで書いています。
NotionやObsidianであれやこれや構築するのも楽しいかもしれませんが、わたしのスタイルには向いていなかった。
職業柄、そこまでPCに張り付いている訳でもないので、それらを使う最中
「これは為すべき為の装置ではなく装置をつかう為の行為なのでは?」
そう感じられてしまって。
それ自体は悪い事ではないと感じるのですが。
戦争、その過程で生じる勝利を求める為の戦いではなく、戦いを愉しむ為だけの戦い。そんな感覚にも似て。
わたしが手書きでメモ,ノート,手帳にがりがりと書きつけているのもその延長線上なのかもしれません。
手帳術,ノート術,自己啓発に対する不信
手帳、ノート術に関する書籍は10冊以上買い込んでいましたし軽く目は通していたのですがどうしても運用に踏み出せなかった。
方法論を書いた書籍であってもどうしたってスピリチュアルな部分、自己啓発めいた一文が紛れ込んでいたもので、それに対する嫌悪感があった。
自身の中にあった固定観念にとらわれ過ぎてしましたね。
向いてない、好きではない。で遠ざけるより一回試してみるか、と。
実際の運用とその技法
何に何を書いている?
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ウィークリーも所持していましたがコーヒーをこぼしてしまい無事水没、死にました
ノートの方はジャーナリング専用機として。
見開き両ページの片側にネガティブサイドの事象を。(放電ログ)
もう片側には出来たことや明るい話題を書き込んでいる。(充電ログ)
*大抵ネガティヴページが2枚に及ぶ
この本にあった技法を改良して運用していますね。
放電ログの方は事実や現象から受けた自分の中の印象と感情を書き出していく。
その後徹底的に自分を詰める。
詰めるを通り越して殺しにかかる。
価値観の近しいものが愛憎入り混じりこじれに拗れた言い争いの果て。
何もかもがどうでも良くなり言い争った相手の心に確実に傷を残してやろうと残酷な感情に囚われた瞬間。
どうすれば相手の魂に深く傷を残せるのか。
ただその一点にのみ集中している時のあの醒めて冷めて覚めた感情と理路で自身の言動を詰め切ります。
*他人にはしません
・自分の言動を省みること
・事実と感想を徹底的に切り分けること
この2点に特化した荒療治です。
麻酔無しで切断手術を行うイメージです。
中高年男性に自分を憐れんだりする時間はありません。
放電ログの方はこれはもう簡単です。
イマジナリ・鳥綱ペンギン目ペンギン科オウサマペンギン属のアレやイマジナリ・最上位存在的デケえ女を脳内に呼び出しそれらに取り囲まれている感じで自身を徹底的にほめあげる。
イマジナリ・鳥綱ペンギン目ペンギン科オウサマペンギン属のアレ「早起きしてえら〜い!」
最上位存在的デケえ女「うわあ、また筋トレ頑張ったんだね、キミはえらいよ。そういえばさ、三頭の長頭、いい感じになってきたんじゃない?わたしは好きだなあキミの腕の形が(以下略2,000文字)」
これが楽しい…!
手帳の書き方
ほぼ日のカズンサイズの運用
月間カレンダーはシンプルに予定表です。
ひとり者なので大した用事はないですけどジムに通う日、ワークアウトやランニングのプログラムの順番などを。
日々のページ上部にあるトラッカー的な部分は行動と時間を記している。
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J→ジャーナリング S→睡眠時間 W→筋トレ
本文は省察と内省が多い。
世相、文化、読んだ本のこと、過去の想いで、これからのこと。
いい感じに続いています。
何が得られた?
脳と心にデフラグをかけている感覚。
がりがりと没頭して書き終えたあとの清々しさ。
あとはメタ認知の練習ですね。
書き始めてまだ1か月ほどしか経過していませんが、それでも自分の思考の癖と方向性、何から影響を受けてこうなったか、何を好ましく思い、何に嫌悪感を示すか。
その辺りが露骨に出ていたので非常に笑えました。
やはり幼少期、青年期に触れ親しんだ本と作家の影響は大きいですね、という身も蓋もない感想でしたけど。
手帳とノートはこれからも道具として趣味として長く楽しめそうだなと感じていますし、平凡で退屈な日常を生きてゆくためのコンパスになりそうです。
*こういう書き方、言い方をする癖がどこから来たのかは自分でよくわかっています
*そしてその弊害も
最後にオチを置いておきます。
そしてだからこそ白人リベラルは進んでみずからを鞭打つことに勤しむ。彼らの活動の真の目的は他者を助けることではなく、自己批判によってもたらされる「快楽」(Lustgcuimm)を、道徳的に他の人々より優れているという感覚を手に入れることだ。白人アイデンティティの自己否定の問題は、それが行き過ぎてしまうことではなく、十分なところまで行かないことである。言葉にされた内容がどれほどラディカルに見えても、その表明はあくまで特権的な普遍性の位置からなされる。だからたしかに彼らは自分を「無」だと宣言するのだが、(特殊な)何かであることの放棄自体が道徳的な優越感の剰余享楽に支えられているのである。
以上。