紫陽花が教えてくれること
もう今年も6月になった。
この季節になると思い出すのは、梅雨の時期の風物詩のようにも思える、紫陽花である。
この6月1日の亡き妻の命日に、知人から贈られた大きな紫陽花の鉢。
仏壇の故人の遺影の横に、紫色の大きな花をつけて故人を護っているかのように鎮座している。
この紫陽花が、「朝夕のご焼香の際、もうこの世にはいない妻に、もっと感謝の気持ちを伝えたかった」という思いに私をさせるのである。
先日、私の自宅から比較的近い多摩川台公園で紫陽花を観てきた。
紫、青、赤の花が手毬状に咲いていて、多摩川と重なる風景は、とてもきれいであった。
季節や人生の節目を感じながら、季節のものを供え、感謝やもてなしを表す習慣を「室礼(しつらい)」というのだそうだが、それは、自分自身の在り方を振り返り、自分を見つめ、自分を整えることにつながるように思えるのだが。
青い紫陽花の花言葉は「無情」
多摩川からの風に吹かれながら、まさに人生の無情さを感じたりしていた私である。