人と組織.6-他責
前号、「人と組織.5-器は最新にしても変わらない人の意識と行動」で述べた、「身の周りのできることから変えていこうという考え方、それは話としては美しいかもしれないが、幹部や部長としての役割責任を放棄していると思う。」、「要は、本当は変えたくないんですよ。」とはっきりと切り捨てる、若手社員達の指摘。
私は、この問題の本質は2つあると思っている。
① 経営レベルで抜本的に構造を変えなければ、直しようもないものを、「管理職のマネジメントの問題」、「育成の問題」、「評価の問題」といった狭い職場の改善や個人の問題に話をすり替える人が多い。・・・現状から逃げて楽しているだけ
② 自分達がやりやすいことばかりやろうとして本当にやらなければならないことを放棄している。・・・自らの職責や組織に対する無責任
このように、幹部クラスの考え方に、未だどこかに右肩上がりの時代、昭和の時代の強い刷り込みが残っているためか、厳密な状況認識を欠いたまま「まだまだ大丈夫」という議論がなされ、また、何となく、そうした議論に心情的に賛同する人も多い。
衰退というのは、急降下ではなく、大方、緩慢なので、なかなか危機感が起こりにくい。
そのため、緩慢なる衰退という状況に陥ってもなお現状を直視することから逃げ、改革に必須の取り組みを欠いている点にあるからである。
言葉を変えると、
成長が止まり、停滞していく企業組織の最も大きな要因を人という観点で見ると上から下まで、
・自分達がやりやすいことしかやってない。
・本来、職責上、やらねばならないことをやっていない。
要は、全て他責なのである。
昨今の日本経済や日本企業のように、本当の意味での競争力を伴っていない景気回復や業績の回復という事象があったとしてもそれは、「泡沫の夢」といえるのではないだろうか。
確かに、現時点ではまだいけるかもしれない、それを裏付ける客観的な事実もあるかもしれない。
然しながら、自分達に都合のいいデータを見て現状をやり過ごし、再び高い成長を期待するといった考え方はあまりにも危険である。
それは、あくまでも希望的観測に過ぎず、愚かなる楽観主義といえるのではないだろうか。
このように人間というのは、「自分に都合の悪い現状や未来を先送りし、その現状や未来を自分に都合のいいように見ようとする傾向」がある。
然しながら、現在の日本のように「世界最速の高齢化と少子化」による「人口減少/毎年、県庁所在地ひとつがなくなるといったレべル」、「約1200兆円/国民一人当たり871万円を超える借金」等など、日本がこの先成長するわけがないというのは、中学生でもわかる話のように思えてならない。
過去に築いた制度や仕組みがどんどん立ちいかなくなる。
そういう意味でも昨今、我々が暗黙の内にうちに当たり前としてきた、当たり前はもうないと言われているが、それを実感する事例が多い。
① 例えば、規制に守られて盤石だった金融業界
今や学生の就職活動でも最も敬遠される業界となってしまった。
長引く低金利政策とITを駆使した新しいサービスの登場などでこれまでのビジネスモデルが、大きな見直しに直面し始めている。
実店舗への来客数も以前と比べると40%以上も減少し、逆にネットバング利用者は40%以上も増加。
そうなると大きな重装備の一等地にある店舗は、今やコスト的にお荷物。
② 小売業
自宅で過ごす時間を楽しく、便利にするありとあらゆる商品やサービス、生鮮食品から動画や音楽の配信サービスまで拡大しているネット通販が顧客を囲い込む。
実店舗の物理的な利便性や品ぞろえ等では、優位性を構築しえなくなってきている。
百貨店業界もこの十数年の間で売り上げが、60%弱まで減少、6兆円をしたまわり、
売り場面積も20%以上減少。
③ 自動車産業
自動車産業もでも、この先、自動車、エレクトロニクス、ITが合体していく可能性が極めて大きくなった。
従来の完成車メーカーが、イニシアティブがとれるのかどうか、或いはIT業界がとるのか、或いは他業界が主流となるのか。
この先の環境変化は、企業間の競争が、「勝つか負けるか」ではなく「生きるか死ぬか」という次元になってきているのでは、ないだろうか。
企業組織の幹部と言われる人たちは、このくらいの観点で今の産業構造の状況を捉えられて、対応策を考え出せないと、そのマネジメントが、働く時間と残された人生という時間が長い、若手の人たちには、納得感をもって受け止められないのではないだろうか。