THINK TWICE 20210516-0521
5月18日(火) WORDS & STRIPES
今日はムスタキビのnoteで連載している「Return to Sender」の今月分をせっせと執筆しております。
今回のお題が「Juhla」というデザインで、詳しくは近々アップされるであろう本文を読んでほしいんだけど、こういうコラムを書く際、頼りにしている公共図書館が閉まっているので、手持ちの資料を読み返すしかないわけです。
でも、なんとなく流していたような文章が、こういう仕事を引き受けたあと、そのテーマに則って読み直すと、違った面白さを見つけられるのはライター冥利に尽きます。
たとえば、デザイナーの松田行正さんの『和力(わぢから)』という本に、まさしくこの《縞柄》の歴史について書かれた文章が載っています。
松田さんは日本人は縦方向よりも横方向を重視する傾向がある───と指摘します。つまり、立体よりも平面を、垂直よりも水平を、縦よりも横を好む、ということです。
箸の置き方を例にとってみると、西洋ではナイフやフォークを自分に対して縦に置き、日本人は箸を横に置きます。
箸食の文化がある韓国の食卓でさえ、箸やスプーンは縦置きが基本です(画像参照)。例外的に日本人が箸を垂直に置くのは死者におそなえする枕飯。
日本人の意識の中で、横ベクトルが俗世なら、縦ベクトルは天上を表わしているのでしょう。縦縞が祭事の幕に使われがちなのも、世俗(横/水平)での願い事が、地上から浮かび上がって、空のうえの聖域(縦/垂直)へ届くように……という願望の現れ、と読みとれるような気がします。
それでふと思ったんですが、日本語は横書きもありますが、新聞、雑誌、純文学の単行本、書簡や文書、お墓や碑などの文字、卒業証書や表彰状など───やはり格式を重んじる場合には縦書きが正当ですね。
しかし、西洋の言語はいわずもがな、漢字を使用している東アジアのほかの国々───たとえば中国でも新聞や書籍は横書きだし、韓国のハングルも同様です。箸は横でも言葉は縦に立てたがる日本人と、横にする国の違いとは。考えてみると、ちょっとおもしろいです。
5月19日(水) A HOUSE IS NOT A HOME
ハウス・ミュージックが流行ってるのは世界でも一部だけ、ほとんど民族音楽みたいなもんです───と、言ったのはたしか坂本龍一さん。
1994年に初めてニューヨークへ行った時、ストリート・ミュージックで一番パワフルなのはあきらかにヒップホップだったし、ハウス・ミュージックに強いレコード屋に出かけても、店内にいるのはどこに繋がるかわからない携帯電話を売ってそうな黒人男性(古ぼけたニットキャップ、ヨレヨレのナイロンブルゾンにストーンウォッシュのジーパンみたいな)と、ぼくみたいな若い日本人ばかりでした。
もちろんナイトクラブに行けば、ドラァグクイーンのおねえさま方や、ファッショナブルな白人もたくさん見かけたけど、教授が《民族音楽》と表現したムードは、その頃すでに存在したと思います。
それでもなお、ぼくにとってハウス・ミュージックは興味深い音楽だったし、その影響抜きで自分の人生を振り返ることはできません。でも、令和3年の今、もっとも関心を失っている音楽もまたハウス・ミュージックなんですよね。
なにしろ新譜がつまらない。というか、そもそも新譜が少ない。たまに聴いても過去の焼き直しのようなサウンドばかりでフレッシュさがない。そのうち追いかける甲斐も無くなってしまって……という感じ。
なんでこんなことを急に書いたかと言えば、昨夜、NHKで放送された『うたコン』という歌番組でこの人たちを見たからです。
先日サンソンでかかったので、音だけは聴いてたのですが、彼女たちが生で歌ってるところは初めて見ました。アレンジはAnders Dannvikというスウェーデン人の作編曲家。MISIAや嵐、そして竹内まりやさんの作品にも参加してる人。達郎さんやまりやさんは「いい感じ」と仕上がりを褒めてましたけど……うーん、正直微妙。
ハロプロのアイドルグループ+シュガーベイヴ+ハウス・ミュージックって方程式で作られた新譜なんて、20年前のぼくなら嬉しさのあまり漏らしてたところですけどね。いわゆるJ-POPハウス=民族音楽中の民族音楽にすぎませんでした。
と、これで文章を締めるのは、あまりに救いがないので、Brijeanの新譜から1曲。Brijean(ブリジャン)はトロ・イ・モアのサポートなどをやっている、女性パーカッション奏者のブリジャン・マーフィーと相方のダグ・スチュアートによるユニット。完熟したトロピカルフルーツのような気怠く甘い4つ打ちで、正直、すごく新しいわけではないけれど、自分の好みにはピッタリで愛聴しております。
あとLaGaStaもよくチェックしています。ギリシャのアテネが本拠地のレーベル。ここから定期的にリリースされている楽曲、コンピレーション、ミックステープは歌心+ドライブ感があってとてもいいと思います。
どうぞ参考になさってください。
5月20日(木) IT MEK
超都会的なサウンドなのに《民族音楽化》したハウス・ミュージックと対象的に、どこからどう聴いても民族音楽然としてるけど、どんな流行にも左右されず、いつ聴いても何かしらおもしろい発見が多い、まるで宝の山みたいな音楽がレゲエだと思っています。
もちろんぼくはレゲエについて専門家のように語れるほど詳しくありません。それでも好きな曲、好きな歌手、好きなバンド、好きなプロデューサーは両手両足の指を全部足しても足りないくらいある。
なにか例を挙げるなら、このデズモンド・デッカー&ジ・エイシズ「It Mek」なんかは30年来の愛聴曲です。ぼくが生まれた1969年のヒットシングル。ジャマイカで大ヒットしただけでなく、全英チャートでも7位を記録。リリースからたった1年で100万枚以上をセールスしたそうです。すごい。
当時、こういう曲はレゲエではなくロックステディと呼ばれていました。ロックステディはスカよりおしなべてテンポがスロウで、ドゥワップやR&B、ソウルなどの影響を強く受けていましたから、この「It Mek」も「アヴェ・マリア」を引用したイントロのコーラス部分にその特徴が出ていますね。
大学時代に買ったベスト盤CD(ライノレコードから1992年に発売されました)で初めて出会ったのですが、演奏クレジットといった解説がなにひとつ付いてなかったので、タイトルの「It Mek」が何を指すのか、今の今まで知りませんでした。ウィキペディアで調べると、これはパトワ(ジャマイカの方言)で"That's the why" もしくは"That's the reason"───つまり「それが理由だ」という意味の言葉らしいです。ネット便利ね。
5月21日(金) IT MEK?
昨日紹介した「It Mek」のイントロ。大瀧詠一さんの『レッツ・オンド・アゲン』(1978年)に入ってる「ピンク・レディー」と雰囲気が似てないですか?
「ピンク・レディー」の冒頭部に引用されているのは、アメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」のメロディ。日本では「雪山讃歌」の原曲として有名です。では、なぜこの曲が引用されているか。
『レッツ・オンド・アゲン』のライナーノーツに「ピンク・レディー(讃歌)」とクレジットされていますね。この曲のコンセプトは熱狂的ファンの男たち(になりきっている架空のヴォーカルグループ"モンスター"はデビュー前のシャネルズ)が、ピンク・レディー愛を熱烈に歌い上げた《讃歌》だから……というのが定説(=It Mek)です。
しかし、ここでひとつ指摘しておきたいことがあります。同年のクリスマス〜お正月映画として、ピンク・レディー主演の映画『ピンク・レディの活動大写真』が公開されています。
ピンク・レディーの主演映画を任されたプロデューサー(石立鉄男!)、脚本家(秋野太作!!)と監督(田中邦衛!!!)が企画会議をしていて、各自が考えついたのはメロドラマ、SF、西部劇。そして、それぞれのセクションをコンサートパートで挟み込む3部構成になっており、そのラストを飾る西部劇編のタイトルこそが《いとしのクレメンタイン》なんです。
───わお、ひょっとしてこれがほんとうの"It Mek"?
ただですね、大瀧さんが「ピンク・レディー」を録音したのは1978年9月で、発売は11月25日。映画の公開が同年12月16日なので、大瀧さんがこの映画を観たあと、それにインスピレーションを受けた……と結論づけては時系列的に辻褄が合いません。
しかも『ピンク・レディの活動大写真』は彼女たちの殺人的スケジュールの合間を縫って撮影されたようで、所属事務所T&Cの社長だった貫泰夫の手記『背中から見たピンク・レディー』によると、1978年11月2日に撮影が始まって撮了が12月2日。で、公開は16日から……って凄いね(笑)。まあ、こういった事情をふまえると、雪山讃歌=いとしのクレメンタイン=ピンク・レディ映画の関係性は偶然の一致と"It Mek"するのがスジでしょう。
しかしながら『レッツ・オンド・アゲン』のレコーディングメンバーであり、大瀧「ピンク・レディー」でもストリングス&ホーンアレンジ、キーボードを担当している井上鑑さんは、本家ピンク・レディーの録音に数多く参加していたことが、ご本人の証言で知られています。そしてピンク・レディーを世に出したレコーディングディレクターこそ、大瀧さんも敬愛する元ロカビリー歌手の飯田久彦(ホニオリン)でした。
また、大瀧さんが同じアルバムに収めようとしていた「渚のシンドバッド」の替え歌「河原の石川五右衛門」の使用許可を、T&C側に打診して断られた……など、他の事実も重ね合わせると、雑談レベルでも「今度の彼女たちの映画にね……」と噂話が大瀧さんの耳に入ったかもしれず、それは面白い、と盛り上がってあのパートが考え出された可能性もゼロではありません。
───以上、ぼくの妄想であり、タツローさん風に言えば「シャレですよ、シャレ」なんだけども、得てして研究や検証とはこういう《直感》が推進力となって進んでいくものです。客観的事実の積み重ねだけで"It Mek"と語れることばかりじゃないし、妄想が事実と事実の隙間をパテのように埋めてくれるのです。そして、こういうことを繰り返していると生きるのに飽きることはありません。
どうぞ参考になさってください。
5月21日(金) 富永さんと伊藤さん
朝、富永一朗さんと伊藤アキラさんの訃報。
富永さんは96歳で手塚治虫さんの3つ上。死因は老衰で、これは大往生と言ってもよいのではないでしょうか。
上は手塚先生が1967年に書いたエッセイ漫画「モントリオール万国博」(漫画サンデー/実業之日本社)。
日本の漫画黎明期から新進気鋭の若手まで参加していた《漫画集団》が、初めての海外旅行(世界一周)に出かけました。この旅行に漫画家としてはだいぶ遅咲きの富永さんが参加したいきさつは、当時『漫画サンデー』の編集長だった峯島正行さんが書いたこのエッセイに詳しいです。
売れっ子の手塚先生はこの旅行にロサンゼルスから途中合流しました。手塚先生は3年後に控えていた大阪万博で、フジパンロボット館のプロデュースなど、様々な形で関与することが決まっていたため、モントリオールに残って向学に励んだはずが───というのがこの漫画の背景。
真剣だったり、とぼけたり、憤ったり、モヤモヤしたり、赤面したり……コマごとに顔つきのコロコロ変わる手塚先生と対象的に、ずっと同じ表情の富永さん。年齢は手塚先生が3つ下ながら、漫画家としての格は断然、手塚先生の方が上。でも、鼻息荒く万博に乗り込んだ自分と違って、変わらずマイペースな富永さんのことを手塚先生は大好きだったんだろうなあ。
───と、手塚治虫はなんとなく手塚先生と書きたくなるのに、富永一朗は先生よりもさん付けしたくなるのが不思議ですね。
そして、作詞家の伊藤アキラさんは80歳でお亡くなりになりました。
伊藤アキラさんはぼくのようなナイアガラ〜達郎好きには、なんといっても三ツ矢サイダーのCMソング「CIDER」シリーズの作詞家として名前が浮かびます。
CM以外にも、アニメ「がんばれタブチくん」のテーマ曲「がんばれば愛」や、伊集加代子(山形かゑる子)「アンアン小唄」といった、大瀧さんがノヴェルティソングを作る際のパートナーとして、伊藤さんとはたくさん仕事をしています。ちゃんと数えたわけじゃありませんが、松本隆さん以外で、大瀧さんといちばん数多くタッグを組んだ作詞家が伊藤さんじゃないですかね。
また、ぼくが子供の頃にテレビで流れていた「ポンジュース」のCMソングの作詞も伊藤さん作詞(作曲は平尾昌晃)ですが、非売品のソノシートが大昔に出ただけで、CDなどで復刻されておらず、幻の音源になっちゃってますね。ひさしぶりに聞きたかったのになあ。ネット不便ね。
伊藤さんも、先生ではなく、さん付けがしっくりくる人だなあ───というわけで、最後に伊藤さんワークスの中でも特に好きな、ムッシュかまやつのシングル「音頭エリマキトカゲの真実」を。
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