映画「空白」について考えてみた
はじめに
映画「空白」、とても考えさせられる私好みの映画でした
登場人物一人ひとりの背景が重厚でリアリティがあり、見逃してもいいような”空白”など、どこにも見当たりませんでした
観ている間、まるで”現場”を目撃しているように、中へ中へと引き込まれていきます
感じるのも、考えるのも、視聴者であるこちら側に託されていると感じられ、視聴後はしばらく脳を占拠されてしまった程です
この記事は、私が感じ、持て余したメッセージのカケラを寄り集め、なんとか言語化しながら“折り合い“を付けるために書いた記事になります
この映画をご覧になった方で、
他人の受け取り方などにご興味がある方にお読みいただけたら幸いです
尚、すべてネタバレの内容になりますので予めご了承ください
※映画「空白」は、2023年6月12日現在、Netflixで視聴できますので興味がある方、まだ見られていない方は是非ご覧ください
あらすじ、監督、出演者などについて
当記事においては、監督や出演者、配給会社、関連作などについては言及せず、純粋に本作品についてのみ綴っております
また、物語のあらすじについても割愛させていただきますので、ご容赦ください
登場人物紹介
この物語に対する自分の考えを整理する上で、
登場人物の区別は重要となりますので、改めて列挙しておきます
添田充:古田新太演じる、本作の主人公。職業は漁師。妻とは離婚しており、一人娘に添田花音がいる
青柳直人:松坂桃李演じる「スーパーアオヤギ」の店長。逃げる添田花音を追い詰めてしまう
添田花音:伊東蒼演じる、添田充の娘。青柳に追いかけられ事故に遭う
松本翔子:田畑智子演じる、添田充の元妻。現夫との間に娘を宿しており、離婚後も花音と時々会っていた
今井若菜:趣里演じる、添田花音が通う中学校の担任教師
野木龍馬:藤原季節演じる、添田充の弟子。厳しすぎる充を嫌う。父親を海で亡くしている
中山楓:野村麻純演じる、花音を最初にはねた車を運転していた女性。誰であってもあの事故を避けることはとても困難であり、この事故の時点ではまだ花音は生きていた
中山緑:片岡礼子演じる、中山楓の母。楓が添田への謝罪する際にも同行。楓が自死後、葬儀に来た添田に対して娘に代わり頭を下げる
草加部麻子:寺島しのぶ演じる「スーパーアオヤギ」のパート店員。独身。日頃からボランティア活動などを積極的に行い”正しさ”を主張する女性。青柳へ個人的な好意を持つ。
その他:校長や、美術教員、同級生、マスコミなど
”空白”とは
タイトルにある”空白”とは、この物語の骨組みになっていると思います
その意味は、様々なように感じられました
失ったものでできた空っぽな”穴”、空間としての空白
見えない部分や”謎”、空白の時間
頭が真っ白になる様子
何も描かれていないキャンパス
雲やぬいぐるみ、置物など中身のないもの
色としての、空(そら)と白(しろ)
初見において、”空白”とは、失った後にポカンと空いた穴のようなものであるように思いました
穴とは、空(から)であり、存在感がありません
しかし、そこには確かに塵や空気、水分などがあるように、決して”無”ではないと思います
劇中で”イルカ雲”が登場しますが空気中の水分は空の上で冷やされ雲という形を作ります
それは絵に描かれるほどしっかりと”存在”していたと言えるのではないでしょうか
しかし、雲には中身がない、とも言えそうです
それでは、人間の中身とは一体何なのか…
背中の”空白”
この映画において、”空白”を考える時、思い浮かぶ場面が”背中”です
劇中、事故直後にタイトルの”空白”が浮かび上がるシーンにおいても、
青柳の背中が大きく描かれています
また、登校する花音や、母と別れた後の彼女の背中も印象的です
誹謗中傷を受け、スーパーの中を歩く青柳も、酔っ払いながら青柳につきまとう添田にも、背中を大きく映し出されるシーンがあります
大きく映し出された背中からは、強い存在感ではなく、むしろ弱々しく、今にも倒れてしまいそうな、脆い印象を受けました
そんな風にこちらへ問いかけられているように感じるのです
”空白”という存在
この映画において主な“空白”は、何か大事なものを失った時に表現されているように思います
それを前提とした時、“空白“とは、何かが無い状態、存在感が無いことかと思いますので、認識が難しいのも無理がありません
しかしそれは確実に登場人物達に宿り、圧倒的に支配していきます
抗っても、逃げても、無視しても払拭できません…
登場人物達がどのような“空白”を抱え、どのように向き合い、乗り越えるのか、それがこの映画の肝だと思いました
ここからは、メインとなる登場人物が持つ”空白”、
そしてブラックボックスになっている”空白”部分について、
私なりにピースを埋めてみようと思います
人物の深掘り
添田充:花音の父
空白:前妻との別れ、花音の死
この映画は、中年の添田充が花音の死を通じて成長する物語だと思います
最初に添田に”空白”ができたのは、おそらく元妻翔子との離婚の時でしょう
彼はベテラン漁師でわがままな性格であり、元妻との関係も悪いままです
しかし、花音の死をきっかけに自身を見直す機会を何度も経験します
彼は自己制御不能な寂しさや虚しさといった”空白”があること認められず、それを見透かされないように周囲に虚勢を張っていたのかもしれません
しかし彼の言動は、決してマスコミやいたずら書きのように嘘や悪意はありません
彼の中にはいつも彼なりの”正しさ”があったのではないでしょうか
(だからこそ野木も付いてきます)
墓参りの日、料理店で添田は翔子に対し素直に自分の非を認め、謝罪します
そして帰りの車内では学生達を眺めながら
と呟くのです
これまでの添田であれば、「折り合いなんて付けれるか、大事な娘を忘れろって言うのか!」と完全否定しそうなものですが、そこに花音の死を乗り越えている様子が伺えます
学生たちに混じって歩く花音の幻覚は、それを視覚化したものだったのではないでしょうか
添田の涙
映画の最後、学校に残っていた娘の絵と自分の絵が同じものであることに気付き、添田が泣くシーンがあります
よく見ると、イルカ雲の絵には、イルカが3匹います
そこから、同じ方向を見る”3人の家族”が読み取れないでしょうか
また、添田が空で見たイルカ雲は、1匹か2匹だったのではないか、そしてそれを添田は3匹にして描いた…というのが私の解釈です
そして、花音も同じことをしていたことに気が付きます
そう考えた時、花音の絵を見て添田が泣く理由として腹落ちしました
感情のままに家族を傷つけ、安易に離婚をし、花音から母親を奪い、花音に”空白”を作った張本人の自分、それが“万引き“を引き寄せ、事故に繋がる…
そう心底思い知った時、添田は自分の行動を深く悔いたのではないでしょうか
青柳直人:店長
空白:父親の死に際への後悔、花音の死
青柳に最初の”空白”ができたのは、父の死の時だったのではないでしょうか
親のスネをかじりギャンブルに明け暮れていた青柳は死ぬ間際にあった父からの電話を無視します
その事実に対し、今でも「そんな時間があったら自分で救急車呼べよ」と都合よく責任転嫁しています
花音の事故後も、食堂で大盛りのご飯を注文し、携帯ゲームをする図太さを持ち合わせていますし、TVに都合よく編集されたとはいえ、「追いかけて何が悪い」とも発言しております
(マスコミの発言は扇動的だが、誤りとも言い切れない)
このように彼の反省には、どこか表面的な印象を受けるのです
しかし、ストーカーのような添田に付き纏われ、いつもの平謝りでは逃げきれなくなった青柳は、夜中に事件現場まで行って話し合うことになります
そしてトラックに轢かれそうになるのです。花音と同じように…
この時にやっと青柳は亡くなった花音と向き合ったのかもしれません
その後は、まともに弁当すら食べられなくなってしまい、何かに導かれるように自殺を考えるようになります
自殺行為直前に入れる弁当屋へのクレーム電話は、生きようと反発する青柳の生き物としての叫びだったのではないでしょうか
自殺は麻子のおかげで未遂に終わりますが、そんな時でも”正しさ”を主張する的はずれな麻子に対して青柳は強く拒絶します
青柳の中の“空白”は、もう彼自身を飲み込もうとしていたのかもしれません
青柳は店の奥で花音に何をしたのか
最後まで青柳が認めていないことからも、噂にあったような痴漢行為はなかったのではないかと思います
(学校にとっては矛先を自分たちから背けられる都合の良い情報だったのでしょう)
何かをしたとすれば、それは彼の持っていた”正義の暴力”だったのではないでしょうか
以下のような点からそう感じました
化粧品に触れる花音を見ている青柳の蔑むような表情
まだ商品に触れているだけの花音の腕を強く引っ張っていること
思い込みが強く、客観的証拠を掴んでからの私人逮捕になっていません花音が青柳から全速力で逃げていること
警察への通報ではなく、青柳自身を怖がっている様子が伺えます。彼女は青柳に恐ろしい父を重ねてしまったのかもしれません青柳が花音を執拗に追いかけていること
麻子がよく言葉にしている通り、「正しいことは正しい(間違っていることは間違っている)ときちんと伝えないと!」という意識が彼にもはあったのではないでしょうか
本来は、教育により相手の成長を思うなら、身の危険を案ずる方が先決です
そう考えると、青柳に草加部麻子が惚れている理由にも納得感が出てきます
青柳がどのような言葉で花音を責めたのかはわかりません
しかし、青柳に父を重ね、普段父が他人に向けている”正しさ”の矛先が自分に向けられた時、花音が殺されるのではないかと感じてもおかしくはないでしょう
紆余曲折あり、警備員となった青柳が再び添田と会い、そのバッグにぶら下がっていたキーホルダーを見て、土下座します
青柳はこの時初めて花音へ心から謝ったのかもしれません
青柳の涙
ちゃんとカメラで撮影していれば…
あの時、執拗に追いかけなければ…
正義なんか、振り回さなければ…
電話があった時、親父を助けていれば…
俺なんかが息子じゃなければ…
おそらくそんな絶望の縁で月日を送っていたであろう青柳は警備員となっていました
相変わらず食欲がなく支給された弁当が喉を通りません
なんとか生きてはいるが、何もない”空白”人間
そんなところへまた自分を知る見知らぬ人間から声をかけられます
しかしそれは、非難ではなく思いがけない感謝とお礼の言葉でした
外見が乱暴そうな職人の彼から本心で伝えられた「おしいかった、ありがとう」という言葉は生きる屍のように冷たく震える青柳の心を、できたてのお弁当くらいに温めたように見えました
本当は自分がいつもそうありたかった理想とする”正しさ”を、
青柳は誰でもない職人の彼の中に見たのではないでしょうか
きっと、ここから初めて青柳は、偏見や責任転嫁、自殺願望などを乗り越えて、自分の”空白”と素直に向き合えるようになっていくのだと思います
添田花音:添田の娘
空白:離婚して会えなくなった母
ゆっくりとした彼女の性格は、もしかするとあらゆることを警戒し、敏感に考えているからなのかもしれません
常に自分が間違っていないか、怒られないかを確認しながら慎重に生きる癖がついているように思います
それは父に怒られないようにするために身につけた処世術の副作用だったのではないでしょうか
ただ、造花をゆっくりと作っていた花音は、母親と会う口実を作っていたようにも思えます
母との別れ際に「明日は?」と聞く彼女は幼く、断られた彼女の街を歩く背中は小さく、とても寂しい印象を受けました
花音は万引きをしていたのか
予告映像などでは、”万引き未遂”とありますので、おそらくしていないことが前提となっていると思います
しかし、万引きしていなかった場合、
青柳が添田や警察に伝えていた花音の鞄にあった透明なマニキュア(商品)があったという話が嘘になります
また、警察に鞄が押収されていることから、実際に鞄の中にマニキュアがあったことは疑いの余地はないでしょう
よって、私が考えるこの“空白”に対するピースは以下の通りです
青柳は花音を万引き犯だと思い込み、裏へ連れて行った
鞄の中には店の商品と同じものがあった
しかし、それは花音が過去に買っていたものだった
先入観を持っていた青柳はそれを店の商品だと思い込み花音を強く叱責した
花音は青柳が怖くなって逃げた
ただいずれにしても、花音の頭の中には“万引き“はあったように思います
自分が問題行動を起こせば、母親がかまってくれる、そんな発想になることは想像に難くありません
重要なのは、作品全体を通してこのような”想像”を巡らすことだと私は思っています
もし”万引きの有無”がハッキリしていたらこの作品からのメッセージ性は半減していたように思います
なぜなら現実では、いつだって死んだ人間から真実の声を聞くことはできないのですから…
松本翔子:添田の元妻
空白:結婚時代の鬱、心残りの花音とその死
添田の元妻であり、花音の母親である翔子
一見見識ある大人の立ち位置ではあるが、果たしてそれだけだろうか
彼女は娘を置いて離婚、現在別の男との間に子どもを宿しています
あの気性の荒い添田が夫では、別れても仕方がなさそうです
また、過去にうつ病を患っていることも添田の口ぶりから伺えます
もしかしすると、当時は今ほど堂々と添田に対して言えなかったのかもしれません
うつ病と離婚も関係がある気がします
しかし今の翔子は違う
新しい家族、新しい命のためにも、もちろん花音のためにも母は強くなったのではないでしょうか
きっとお腹の中の子どもについても、花音にしっかりと説明をし、できるだけ2人で会っていたのだと思います
普段から携帯でもつながりながら花音を支えていたのでしょう
しかし、その支えは花音にとって十分ではなかったのかもしれません…
なぜ看板を外そうとしたのか
花音の死は当然翔子にも大きなストレスを与えます
花音も立派に育てて、新しい家族とも幸せになる
翔子はその両立を想定していたはずです
しかし、それが叶わなかった
花音の孤独に気がついておきながら支えきれなかった自分を許せなかった
そんな翔子は、何でもない選挙看板の笑顔にでも苛立ってしまったのかもしれません
おそらくそれはこの一回だけのことではなかったでしょう
松本家にとっても花音の死は暗い影を落としていたに違いありません
それを見かねた現夫が、“明花音”と新しい命へ名付けたことは実に配慮あることだと思いました
直後の出産シーンでは、これ以上ないくらいに幸せそうな翔子と赤子が映ります
きっと添田充も我が子のように大事に思うことでしょう
中山緑:楓の母
空白:娘である楓の自殺、夫の死?
自殺した楓の葬儀に現れる添田
それは、花音の葬儀に現れた青柳の立場に似た状況といえます
しかし、青柳と添田のそれとは異なり、母緑の対応は、死んだ楓の擁護ではなく事故に対する謝罪でした
大人としても、親としても、何枚も上手な緑に比べ、出会い頭に
「何言われても謝らねぇぞ」と牽制する添田の姿はとても幼いものに映ります
一方、楓の葬儀の席では、緑の傍らに夫らしき人物はいないよう思います
もしかしたら、緑は既に夫との死別など過去に悲しい経験しているのかもしれません
そう考えた時、夫も娘も亡くし、これから一人で生きていく孤独が浮き彫りになります
そんな女性が背筋を立て、添田に対してあのような謝罪をすることができるのはなぜなのか
そこに過去に大きな”空白”と折り合いを付け、娘のために母としてなんとか生きてきた彼女の偉大さが見えるような気がします
ある意味“青柳の側“から、圧倒的な”理想の親”を見た添田は、その日から花音の死と向き合うように遺品を整理し始めるのでした
草加部麻子:店員
空白:独り身の孤独感
麻子は以前から孤独という”空白”を持っていたであろうと思われます
しかし、“正義の人”として生きることで、自分を守っていたのではないでしょうか
しかし、勧善懲悪のアニメに染まった子ども時代ならともかく、複雑な大人の人間関係の場にはそれはうまく馴染みません
麻子のように社会に出てから”正義”を振りかざしていれば、衝突が起こることは避けられないでしょう
不器用で人から頼りにはされたいが、反対に頼ることは苦手で”力こぶ”を見せてしまう彼女
もしかしたら、頼られる方が上で、頼る方が下という意識があるのではないでしょうか…もし利用者に対してそんな意識を持ってるとしたら…
自分の中の”空白”を、人を助けることや、頼られることで、忙しく形作ろうとしている彼女は、どうしても幸せそうには見えないのです
麻子の涙
麻子が明らかに涙する場面は以下の二回です
青柳の自殺を止めた後、“正しい主張”を拒絶される場面
ボランティア仲間で後輩の夏美がこぼしたカレーを拭く場面
麻子からすれば圧倒的に”正しくない”添田から言われた”偽善者”という言葉は屈辱だったことでしょう
(ここで彼女は子どものような反論をしています)
また、自分と同じように“正義の人”だと思っていた意中の青柳から自身のアイデンティティである“正しさ”を否定されたことは痛恨だったのではないでしょうか
弱っている青柳につけ込み接吻をするという、自身の内なる欲望が顕在化した場面でもあります
(ここでも彼女は子どものような泣き顔になります)
さらに、スーパー閉店後のボランティア活動の時、後輩の夏美に一生懸命作ったカレーをこぼされ台無しにされてしまいます
同僚に労らわれる彼女を背に、麻子は添田に言われたことを認めざるを得なくなったのではないでしょうか
(ここで彼女は片付ける手を止めて泣き崩れます)
彼女の人生において、これまで“正しさ”という正論は、正面切って否定されたことがなかったのではないでしょか
正論はただでさえ、間違いとは言いづらいものですし、そこに彼女の大きな声が加われば、否定する者も少なさそうです
きっといつも“痛い大人”などと陰口を叩かれながら、自分の信念である“正義”を信じ行動してきたのではないでしょうか
“人のため”と行動する彼女自身の方が、人の温もりに飢えていたように思います
閉店準備中の店内で今後の仕事について尋ねられた麻子はこう答えています
しかしそれが強がりであることは明白です
彼女は、いつだって“人のため“と行動してきました
しかし、実はそれが”人に認められたい、頼られたい、好かれたい”という見返りを求めた偽善だったということになれば、これまでの自分は何だったのか…
あの日、麻子はそんな考えを払拭するように、今まで以上にボランティアに精を出していたのかもしれません
段取りよく、美味しくできたカレー、あとはご飯を…というところでカレー鍋が倒されます
本来、人のためと考えるのであれば、ここで真っ先に同僚への気遣いがなければ、麻子の理屈が通りません
しかし、麻子にはそれができませんでした
彼女の火傷よりもカレーを心配してしまいます
カレーが無くなれば、今日来る人達を喜ばせられない、喜んでもらえなければ、褒めてもらえない、それでは私の自己肯定感を満足させられない
そんな自身の思考回路がはっきりと見えた時、認めたくない、あの添田充の”偽善者”という言葉を否定できなくなってしまったのではないでしょうか
おわりに
さて、ここまで主な登場人物達へ思いを馳せて参りました
幼少の頃は、誰もが”正しいこと”を学びます
それは必要なことに違いありません
しかし、大人になるにつれ、様々な人とつながり、多様な見聞を広げ成長する過程で”正しさ”とはとても曖昧なものでもあり、人を傷つけてしまう攻撃性があることや、断定が難しいこと、言葉に出すことすら不適切な場面などを体験すると思います
それがまさに
”万引きして逃げた女子学生を店長が追いかけたら事故にあった”
で表現されていると感じました
ぶつかったり、失敗したり、無くしたりして、そこにできた”空白”という余白を乗り越えた時、忘れる訳でも、無視する訳でもなく、混沌を混沌のまま思い通りにできない自分の一部として折り合いを付けることができた時に、いつの間にか余白が少しの余裕となって人は一歩成長できるのではないでしょうか
添田がそんな風に変わっていく姿は、映画の中で描かれておりますが、青柳と麻子については”自認”までに留まっており、折り合いを付けられるのはまだ先、という印象を受けます
私はこの映画から、そんなメッセージを受け取りました
あなたは、いかがだったでしょうか
おまけ
スピンオフ作品:お弁当屋さん
あれから数年後、青柳真人は弁当屋を開業していた
お店の名前は「お弁当アオヤギ」
名前は亡くなった父から受け継いだ後に潰してしまった「スーパーアオヤギ」から取った
青柳はお店を開く前、港まで添田充を訪ねている
「知るか」
添田は久しぶりに対面する青柳からの挨拶に対し、冷たくあしらった
にもかかわらず、さらに青柳は添田から直接魚を仕入れたいと申し出る
「いいっすよ!」
それを横から入ってきた野木が快諾する
野木は自分の船を買うために今でも添田の助手をしていた
「てめぇが決めてんじゃねぇよ!」
だからと言って添田もそれを否定しない
すると、添田がいつもの低い声で答えた
「今度潰したら、タダじゃおかねぇぞ…」
「…はい」
青柳は思ってもいなかった言葉に、
緊張の中にあっても嬉しさがこみ上げる
青柳にとってこれは必要な儀式だった
添田の返答次第では開業を諦めると決めていたのだ
添田から逃げずに関わり続ける
年月を経て、青柳はいつしかそんな覚悟ができるようになっていた
お弁当アオヤギは、元タバコ屋だった住宅街の角にある小さな狭小店舗だ
オススメ商品はスーパー時代から人気商品だった「やきとり弁当」
昔の常連客も懐かしさと、その美味しさからリピーターとなり商売はすぐに軌道に乗ることができた
当時スーパーの店員だった草加部麻子の協力があったことも大きい
その日も、男は無愛想に採れたての魚介類を持ってやってきた、添田だ
そしていつもの通り、既に店頭に並んでいる売れ残りの中から2つ選ぶ
「いつもありがとうございます!」
店員の草加部麻子が笑顔でお金を受け取り、
ビニールに入れた弁当を渡す際に明るく声をかける
「あ、ああ…」
添田は受け取りながら小さく答え、店を後にする
それをお辞儀をして見送る麻子
「今日は機嫌良さそうね、返事したもの」
そう言って麻子は奥でせっせと弁当を作る青柳に目線を送った
青柳はそれを受け、仕事の手を止めずに、笑顔で頷く
添田にとっても、青柳と関われることは好都合だった
なぜなら、あれからまだ添田から青柳への謝罪は一度もできていないのだ
添田は乱暴に軽トラへ乗り込み、安全運転を心がけながら港へ戻る
港へ着くと、船着き場で後片付けと明日の準備を進める野木へ向かって、弁当の入ったビニール袋を持ち上げて見せる
もう片方の手には自動販売機で買った飲み物も2つあった
「好きな方、食え」
「あざっす!」
元気で軽いお礼を言い、ガサガサと弁当が入った袋をあさる野木
すると、透明な蓋を開け、割り箸を口で割りながら言った
「俺、ここの弁当、ほんと好きなんすよねー」
「…何でだ?」
添田は特に興味はなかったが、流れで聞き返す
「どの弁当でも必ず”唐揚げ”が付いてるんすよ、ホラ!」
そう言って箸で大きな唐揚げを持ち上げて見せる野木
「…ホントだな」
自分の焼き魚弁当の中にも大きな唐揚げを見つけた添田は、それを目線の高さまで箸で持ち上げてみる
「これは、腹持ちが良さそうだ…」
添田の目の前の青い空には、大きな白い雲が浮かんでいた
持ち上げた唐揚げは、その白を覆い尽くさんとばかりに大きかった
おわり